Werther_is_kyokon’s blog

R18となっております

皇帝の器

俺の性への目覚めはいつからかと言われたら、それは間違いなく小学生の頃だろう。

 

小学校の頃、俺は水泳教室に通っていた。その水泳教室は厳しいことで知られていて、根性のない俺がどうやって食らいついていったのか些か疑問に感じる人も多いと思う。引っ越す前に通っていた「コナミスイミングスクール」とかいうゆとり水遊びごっことは格が違った。準備体操の掛け声がもう体育会系で、「イイイイッ!!!イーーーー!!!ウウァァァン!!!!!ィィィイーーーー!!!!(多分準備運動する時のいち、にー、さん、しー、と言っているのだと思われる)」と獣のボイスを発していたし、6年生の兄ちゃんなんかもう身体がリアルヒクソン・グレイシーだった。

 

さて、俺が何故軍隊宛らの様な環境に適応できたか、ここいらで種明かしをしよう。1時間以上泳いで帰る時間になると、また準備運動をしてコーチが言うんですね、「君たちの身体は冷えてるのデ!!サウナとかジャグジーで充分に温まってから帰るようにして下さイイイイッ!!!」 最後獣の咆哮が聞こえたが、要するに『風邪ひかれたら困るから身体は温めとけ』って意味なんだと思う。私の目的はこれだった、いや、決してサウナとかジャグジーに入って気持ちいとかそういう話をしているのではない。それは半分正解で半分不正解である。練習が終わる。ガキが一斉にサウナ、ジャグジーに駆け込む。しかしガキに劣る私ではなかった。終わりの準備体操の時からジャグジーの良いポジションを取るために1ミリでも近い位置での場所取り、ややフライング気味のスタートダッシュをしたー 私の目的は「ジャグジー」だった。無事ジャグジーのお望みの場所を陣取れた私は早速『儀式』にかかる。ジャグジーの水が吹き出てるところに己のチンコをセットするのである。もうお分かりであろう、俺の目的は『チン=ボコ(当時俺と弟はそう命名していた)』であった。水が勢いよく噴射してる所にちんこを近づけると無性に気持ちがいいことに齢9の時点で私は気付いていたのである。最早天才という他ない。早い話、オナニーである。ティーンエイジャーのティーンエイジャーによるティーンエイジャーのための娯楽の原型がこの時俺には既に存在していたのだ。週一で味わえる、至高の一時、それは辛い練習を耐えるだけの動機を与える。飴と鞭、チン=ボコと練習、俺だけが知っている快感に小3の俺は物凄い興奮した。やがてその”秘伝の書”が弟にも伝わった。「すげぇや、すげぇや...」そう呟きながら涎を垂らして1人ジャグジーの椅子に反対向きで正座をしながら遠く先を見つめ、半身浴の体制をとる弟、それを優しく見守る兄。正しく変態であった。

 

ある日、事件が起こった。門外不出の秘伝の書が外部の人間に漏れたのである。俺と弟しか知らないはずの奥義がバレたのである、どうせあのクソガキが俺の友達にでも言ったのであろう。俺がいつものようにジャグジーに向かおうとしたら物凄い速さでジャグジーに飛び込み、噴出口にチンコを設置するあの独特のポーズを早々と取り始める友人の姿がそこにあったのだ。いや、冷静に考えてくださいよ、小学生の男女がジャグジーに浸かってる中一人だけジャグジーの外を向いてヨダレ垂らして半身浴をしてるんですよ、どう考えたって不自然じゃないですか、どう考えても「知ってる」人間じゃないとできない所業じゃないですか、そりゃその道の”開祖”の私にはお見通しですよ(因みに、この時の我々はチン=ボコの最大の弱点である”周りの人間に同化してかつ違和感を失くす”為の対策が取られており、横を向きながらさりげなくちんこのみを噴出口に当てる術を会得していた。あの姿勢を取るやつは間違いなく”初心者”なんだよな、)、もう1発で「あ、こりゃやべぇわ」って直感しましたよ、名刀の技法がバレた時の鍛治職人の顔ですよ、死、死な訳ですよ、死活問題、そりゃチン=ボコだけをモチベに1時間以上獣と泳いでる訳ですから、もう娯楽の一つや二つないとやってらんない訳ですね、パンと見世物、ジャグジーとチン=ボコ、そんな娯楽が庶民に知れ渡ったらどうなるか、その先あるのは

 

戦争

 

でした。快楽を享受しようとする男達の醜い戦争。もうジャグジーは小学校低学年の女子が集う楽園的な色はなくなり、飢えた獣の目をした小学校高学年の男達がバチバチのサバイバルバトルを繰り広げる戦場へと化したのでした。人間は醜い。一旦知った蜜の味を忘れる術はありませんでした。正に海戦。しかしそんな最中でも毎回陣地を勝ち取っていた将軍クラスの人間が3人いました。俺、弟、先程の友人、この3人でした。もうこの時になってくると我々も小学校高学年でガタイも良くなってきていたので、そのフィジカルを活かしてガキ共を駆逐していたんですね、弟も兄譲りの図々しさで毎回何故か「チン=ボコspot」を勝ち取っていました(マジで謎。あいつのどこにそんな強さがあるのか。そういえばあいつは昔から脚だけは早かった気がする。水泳はそこまでだったが。)

 

そんな時に黒船が現れた。いや、南下政策の陰か。兎に角強力な敵が現れた。ロシア人3人兄弟の出現である。あのスイミングスクールは都内のそこそこ立地の良いところにあり、外国人の多い場所で知られていた。その為、外国人が一般客として泳ぎにくること自体は珍しくはなかった。しかし、スイミングスクールに外国人が入り、剰えチン=ボコ戦争に参入する自体は我々の想像を遥か超えていた。我々モンゴロイドは、アングロサクソンにフィジカルで圧倒された。言葉が通じない上に堂々とフライングを決め、良い場所を陣取り、騒ぐ外人。幸いなことにチン=ボコそのものの概念はロシア人の知る範疇にはなかったようだが、ガキからしてみれば「ジャグジーの噴出口」なんて代物は興味の的だったのであろう、積極的にチン=ボコspotを陣取り始めた。残された道はひとつしかなかった。なるほど、戦争ってのはこうやって起こるのか、世界平和なんて無理なわけだ、幼い私はそう思った。

 

かくして、決戦の日は訪れた。いや、別に決戦と銘打つほどの諍いや格闘があった訳でもない。存在したのは変態集団とロシア人と精鋭3人の三つ巴のジャグジーの噴出口の取り合いである。いつも通りコーチが叫ぶ。「君たちの身体は冷えてるのデ!!サウナとかジャグジーで充分に温まってから帰るようにして下さイイイイッ!!!」馬鹿だ。こいつは本当に馬鹿だ。叫ぶ事しか脳のない脳筋野郎を尻目にロシア人が歩き始める。普段我々が此奴の言うことを遮って移動を始めるとブチ切れる癖にロシア人が移動を開始しても何も言わないクソ指導員、言葉の壁を感じされる。我々も柱の影に身を潜め足音を消してジャグジーに向かう。その刹那、ロシア人が我々の存在に気付く。馬鹿め、お前らと俺らじゃ賭ける想いってもんが違うんだよ、俺たちは命を賭けてんねん、あの時の俺は正にアクティウムの海戦のローマ兵であった。徹底した戦略、徹底した破壊ー結論から言えば我々は勝利した。ロシア人及び有象無象の変態は敗戦の民となった。正に俺はカエサル、そして皇帝。

来週以降、ロシア人はサウナに行くようになった。変態共も嘗ての勢力を失った。再びパクス・オナーナは訪れた。それは理想的なチン=ボコ環境であった。ジャグジーには昔のように女子小学生が集い、楽園へと化した。しかし、そんな平和なんぞすぐに終わった。数ヶ月が経ったある日、とあるババアが俺たちに言ってきた。「ウチの子にもジャグジーを使わせなさい、いつも貴方達が使ってるじゃない、

 

ズルい。」

ー民衆は瞬く間に暴徒と化し、皇帝に刃を向けた。強引に噴出口を奪う女、文句を付けて奪うクソガキ、俺たちに文句を言うババア、得てして衆愚政治の到来であった。混沌は混乱を呼び、それは次第に次の時代の到来を告げた。

 

そうこうしているうちに、俺はそのスイミングスクールを辞めた。理由は簡単で、中学受験に専念するためである。別に水泳に未練は無かったし、チン=ボコの快感よりも当時は受験へのストレスの方が強かった。

ある日、俺はチンコを弄っていた。俗に言うオナニーであった。快感は絶頂に達し、身に覚えのある快感が全身をよぎる。これは知っている。あの水泳教室で本能的に覚えた、誰かに教わった訳でもなく自力で発見した俺だけの文明であった。   「そうか、これだったのか」   ー私はこう一人呟いたのを覚えている。

 

それから数年の時がたった。俺は高校生になり、弟は中学に入学した。ある日のことである。

「なぁ、俺らチン=ボコってやってたじゃん、あれオナニーじゃね?」

 

私はこう思った。

 

(弟よ、お前もか。)

 

私はカエサルだったのだ。

 

(完)