Werther_is_kyokon’s blog

R18となっております

日本一就活の強い男が靴職人をやっているのが残念でならない。

この国には「就活」というものがある。ある者は高校生活の終わり際に、またある者は大学3年生の半ばぐらいから、なんとなくそれについて考え始めて、自分という存在について想いを馳せては、現実とのギャップに苦しむ。大抵の国では学歴というものが最重要視されるらしいのだが、どうもこの国は「コミュニケーション能力」というあまりにも漠然とした代物がいい感じに重要視されている。嘘か誠かその真偽は確かではないが、確かに筆者の周りを見てもその傾向は感じる。東大の根暗と明治大学の明るい奴がいたら、偏差値のジャイアントキリングは起こりうる。

 

また、このコミュニケーション能力以外にも、この国には暗黙の了解で同じく重要視されているものが存在する。それは「コネ」だ。最早当たり前すぎて誰もそこには触れようとしていない。慶○義塾大学體育会野球部のサイトに何故か掲げてある四年生の進路先や、芸能人や政治家の倅がトンデモ企業に就職している事から、当然の事実として世の中に浸透している。日本人は権威的な物を崇拝する生き物だからこの謎システムに疑問の余地すら抱かないだろうが、就活における反コミュケーションイズムを掲げる人間はまずこの事実にこそ声をあげては如何だろうかとたまに思う。

 

さて、「コネ」についてだが、私は就活において誰が最も最強であるかについて考えたことがある。しかし、腐ってもこの国は表向きは平等を謳う。ただの成金上がりでは世間様に叩かれる。家系や業績、そして品位、またある程度の学歴を要して、それに付随してコネがあって初めて最強の名を冠する。

色々と考えた末に、一人の人間に私の全神経が集中した。家柄、親の業績、品位、そして学歴。全てに申し分のないUR(因みに私は昨年このUR(×ウルトラ・レア)と巷で呼ばれている機構に書類で落とされた記憶がある。東大、京大の友人も挙ってエントリーしたが皆書類落ちをしたというなんとも不思議な現象が発生した。その後、四季報を見たら偏差値40代の大学から内定者が出てて大層驚いたのは言うまでもない。)的存在を発掘した。

 

コネとは、偉大でなくてはならない。では「偉大」とは何か。それは権威であり、匠である。歴史に名を残した歴戦の武将であり、巨大な権力相手に我が身一つで己を貫いた1人の男でもある。要は「強さ」だ。品位、家柄、学歴、親。これらの要素は強さという一つの概念に収束する。言い換えれば、コネは強い人間の下に生まれると考えて良い。

 

ではその男とは誰なのか。その男の名は花田優一である。彼は平成の和製横綱貴乃花の倅であり、同じく横綱若乃花の甥でもある。また、名力士貴ノ花の孫でもあり、あの藤田紀子の孫でもある。文字通り相撲界のサラブレッド、家系図的を見せられたら彼の現在の職業を知らないものなら皆力士であると予想するだろう。

 

想像して貰いたい。君は今有名企業の人事をやっている。新卒採用をして書類に目を通すと、「花田」という珍しい名前が書いてある。そして住所欄に記載された「東京都江東区東砂」と言う文言。Googleで検索をかけると「貴乃花部屋」との文字が映し出される。

間違いない。“”奴“”の倅だ。

 

脳裏には華々しい横綱相撲で日本中を熱狂させた“奴”の姿が思い浮かぶだろう。君は悩む。奴の倅を見てみたい。奴の日常について聞いてみたい。家庭での奴はどんな人間なのか、兄貴との関係、母親との関係、色々な思いが交錯する。最早そこに公平性などない。「花田」という文字を見たその瞬間から、貴方(×あなた◯たかのかた)は優一を通す。こうして「コネ」は生まれる。決して忖度ではない。人事部が食いついて、興味を持って、魅力を感じたのだ。不正は介在しない。コネとは敗者の理由付けに過ぎない。悩んでいると、上司から「ちょっと来なさい」と声がかかり、普段は入れないような部屋に入ると、そこには親父と叔父が揃い踏みで君に頭を下げている。親が就職の手助けをすることはこの業界では珍しくない。呆気に取られていると、「よろしくお願いします」と180超えの大男二人が頭を下げて来るではないか。もう内定確定である。

こうして優一は虎○と光○によって就職全勝は約束されるだろう。その後、彼はどこの企業に入るか悩む。電通か、フジか、集英社か、三菱か。そこで出てくるのが紀子である。祖母の一存で出版社に行くだろう。あの家はかつて出版社に目の敵にされた過去がある。ここいらで身内を送っておきたい。

しかし社内では当然「コネ」と揶揄される。そして配属は間違いなく休載続きのHUNTER×HUNTERの編集である。「なに、あんな仕事猫でもできる。適当に富樫を数年に一回書かせるだけでいいのだからな」人事部はこう言うに違いない。

 

しかし、ここでも優一は上手く立ち回る。富樫と初顔合わせ。「編集担当になりました、“”花田“”と申します。」そこには花田と名乗る男と、両脇に”奴ら“がいる。富樫もまた日本人。奴らを知らない訳もない。そして奴らが口を開く。「富樫さん、倅を宜しく頼みます」「甥を頼みます」

 

ここで富樫は悟る。

「俺は“”かわいがり”“にあう。」

こと肉体に於いて、彼は凡庸であった。あの二人に肉体で勝てる人間は日の本には存在しない。もし、彼らに勝てる人間がこの世に存在するとすれば、後にも先にもあのモンゴル人、ダワジャルガルだけである。その刹那、足の爪先から頭のてっぺんまで「恐怖」に支配される。

 

「やばい。」

 

心臓の鼓動は加速し、呼吸は乱れる。身体中から汗が溢れ、本能が逃げろと叫んでいる。

 

 

、、

 

、、、

 

それからの富樫は勤勉であった。全盛期の秋本治の如く連載し、不可能と言われた完結まで達成した。社内では最早優一を揶揄する者などいなくなっていた。正月に集英社で開かれる新年会で上司から「優一君よくやってくれた。君は我が社の誇りだ。」と投げかけられるだろう。画して、優一は集英社きっての名編集者となった。そして、漫画家達の間でこんな噂が流れる事だろう。

 

「神保町には“鬼子”がいる。鬼を2人携えた、鬼子がいる。決してそれには逆らうな。」

 

(完)

ここまでのストーリーは、決して絵空事では無い。現に世の中には、コネは存在している。というより、コネが有れば誰だって使う。それは世の中の道理だ。

しかし、かの花田優一公は今靴職人をやっている。意味がわからない。お前の本来行くべき場所はそんな寂れた靴工場ではない。大銀杏を頭につけて両国の直径4.55メートルの円の上でぶつかるか、千代田区神田神保町の出版社で親父と共に冨樫の尻を叩いて、待望の連載をさせることである。

話題が変わるが、昨今「子供部屋おじさん」というワードをよく耳にする。社会人なのに実家から会社に通っていると、令和のご時世ではこの様な言われようになるらしい。いい歳なのに自立せずにいる人間として烙印を押されるとのことだ。

しかし少し頭を使ってみると、実家住みで東京の企業に通えると言うことは、金持ちの現れであることがわかる。それは「強さ」そのものである。もう少し広い視点で見てみると、この言葉は不動産会社が人々の賃貸契約意欲を掻き立てる目的で付けている事にも気づく。なるほど、世間様というのはいい加減なものだなと思わされる今日この頃である。そこまで家柄主義を憎むなら、豊○章男や鳩山○紀夫をぶっ叩いてほしいものである。私は今、TOYOTAブリジストンに祈られて頗る期限が悪い。祈られているという事は、どうやら、私の家柄はまともではないようで実に情けない限りである。

 

(完)