Werther_is_kyokon’s blog

R18となっております

根性論の果てに得た教訓

以前ツイートした内容と被るが少々大目に見て欲しい。

 

小学校一年生、今から15年前の事だ。

 

当時のブームといえばポケモン。とち狂ったようにゆとりのカリキュラムに毒されたガキどもは縦10センチ横15センチ程度の画面を見つめ、草むらを駆け巡り、洞窟を抜け、ポケモンマスターへの道を進まんとしていた。ポケモンが強い奴はあの時からその片鱗が窺われた「スクールカースト」という世界で上位に立てたように思えた。ガキは皆「スクールカースト」の上位に立たんと学校が終わればポケモンに熱中し、明くる日もポケモンに明け暮れた。

 

私もその例外ではなかった。私もまた、ポケモンに魅せられた少年の1人だった。電源をつけて、画面が点灯し、自分の思うがままに主人公を動かせた時は心踊った。オダマキ博士とかいうホモ臭い中年のオッさんが狂犬病っぽい野犬に追っかけられてる様を見た時は引き返そうとしたが引き返せなくてブチ切れた事以外は何もかもが感動的だった。みず、くさ、ほのお、「草は弱そう、火は水に弱い、だから水が最強」と強ち間違ってもない理論でミズゴロウを選び、俺は冒険に出た。

 

それから暫く経って、どっかで凄まじく魅力的なポケモンに俺は出会った。「ワンリキー」というポケモンである。筋骨隆々なその姿は当時ひ弱な俺に強く印象付けた。

ワンリキーの カラテチョップ!]

脳に電流が走った。筋骨隆々な”ワンリキー”が「空手チョップ」をする絵面を思い浮かべた。

 

どんなに うんどうを しても いたくならない とくべつな きんにくを もつ ポケモン。おとな 100にんを なげとばす パワー。

 

図鑑にはこう書かれていた。

 

ほう、

 

そんな筋肉バカが空手チョップなんてしたら

 

「最強」

 

じゃないか。

 

齢6歳にしてこの世の真理に気づく。力=強さという太古から変わらぬ方程式。力とは、即ち筋肉。当時、テレビではボブ=サップという2メートルの化け物がリングの上で”にんげん”を殴っていた。俺はボブ=サップに憧れた。「力が欲しい」。その衝動はワンリキーという”力のイデア”と出会う事でより強くなった。ワンリキーが欲しい。それは最早必然であった。

 

程なくして、同級生のコウヘイ君からワンリキーLv18を交換で手に入れた。確かミズゴロウLv13と交換した気がする。今考えると、本当にコウヘイ君はクズだなと思う。しかし当時の私は大変ご満悦だった。ミズゴロウよりレベルが高いワンリキーを俺は手に入れたんだと、しかもカラテチョップも覚えてるぞと、本当に満足していた。

 

カラテチョップをしまくっていると、ある異変に気づく。いつもよりダメージが多い時があった。所謂急所に当たった、って奴だ。しかし悲しいことに、当時の俺は「きゅうしょ」を知らなかった。なんかしらないけどたくさんダメージをあたえてる、程度の印象だったのだろう、そこから俺はある恐ろしい仮説を立てた。

 

これって ワンリキーが カラテチョップ を がんばったからじゃね?

 

現代風に言えばthe 根性論 である。カラテチョップをしまくった→拳の強化に成功→ダメージが増えた、昭和のジジイもビックリの根性論だった。

 

それからというもの、俺とワンリキーの修行が始まった。洞窟にこもり、「カラテチョップに適した」ポケモンを片っ端からカラテチョップしまくったのである。大山倍達もビックリの三倍努力。”イシツブテ”を砕き、同族の”ワンリキー”も拳でねじ伏せ、”ノズパス”とかいういかにも硬そうなバケモンも粉砕した。PPがなくなり、ポケモンセンターで回復する頃には俺のワンリキーは篭っていた洞窟内のポケモンを一撃で沈める拳を持ち、その様たるや達人の風格をも漂わせていた。これを毎日、欠かすことなく繰り返した。

 

数ヶ月後、”ワンリキー”は”ゴーリキー”に進化し、コウヘイくんに教えられて通信交換で”カイリキー”という腕が4本のシヴァ神の様なバケモンに進化していた。見事な広背筋と上腕二頭筋を兼ね備えていた。こいつの「カラテチョップ」は最早師範代である。数ヶ月洞窟に篭もり「カラテチョップ」だけを極めた達人。俺は満を持して洞窟を後にした。この時、カイリキーのレベルは既に40を超えていた気がする。何故か言うことを聞かない時があったがそんなの気合で何とかした。俺とカイリキーの絆は強かった。

 

船に乗り、キンセツシティというジムに道場破り込みに行った。途中ミチル?という名のガキが喧嘩を売ってきたが持ち前の「カラテチョップ」で蹴散らした。ラルトスとかいう、いかにも弱そうなポケモンを出して来た。アホなのか?俺はこんな雑魚を相手にする為に洞窟に篭っていたわけじゃない。空手道を極める為にイシツブテを、同士を、ノズパスを、自らの手で殺めて来たのだ。

 

そうこうしてるうちに、「ジムリーダー」を名乗るジジイが勝負を仕掛けて来た。が、程なくして俺は絶望した。磁石に目のついたガラクタと、モンスターボールと、さっきの磁石を3つくっつけた20レベのポケモンしかもっていなかった。当時、俺はタイプの相性という概念がなかったが、コイツらは”カラテチョップ”が効きそうなポケモンであることを直感で悟った。そこからはあまりにも一方的な試合だった。カイリキーがカラテチョップをして、相手を一撃で沈めるだけの試合。カイリキーは強くなりすぎたのだ。この時の俺はあまりの己の強さに退屈を覚えた記憶がある。「おれはつよくなりすぎた」、小一にしてこの言葉を発したのは世界で恐らく俺だけだったであろう。あの日から俺は”ポケモントレーナー”になることをやめた。

 

その後も、一応ストーリーは進めた。ゴーストタイプも、「みやぶる」をすればカラテチョップは当たった。カゲボウズだろうとサマヨールだろうと、俺のカイリキーの前では塵芥に等しかった。気づけば俺はチャンピオンロードを抜け、チャンピオンを名乗る男に勝負を挑まれていた。その道中、悪そうなモヒカンはカラテチョップで沈め、その次の女はこれまでの経験からみやぶる→カラテチョップで粉砕し、3人目のオカマもカラテチョップで殴った。4人目は特に覚えていない。

 

結論から言えば、勝負は一瞬で終わった。”チャンピオン”のポケモンは、「カイリキーLv80のカラテチョップ」で跡形もなく沈んだ。そこに残ったものは虚無感と、強くなりすぎた己への絶望感だった。『ポケモンつまんないや』これが殿堂入りした瞬間の僕の言葉だった。

 

カイリキーLv82 ジグザグマLv12

殿堂入りおめでとう!

 

この画面を最後に、「新しいチャンピオン」は生まれた。当初の純粋な迄の力への憧れと大いなる期待は、己への絶望と強者故の退屈へと変わったのだ。それは、テレビで見た”にんげん”を倒した瞬間のボブサップ歓喜に満ち溢れた表情とは全く違うものだった。

 

あのシヴァ神の様なバケモンは、俺の”夢”を壊したのだ。

(完)

恥の多い人生を送ってきました

(歩きながらこの記事を書いたので適当な文章が続きます。予めご了承下さい)

 

現代社会は一言で言えば「ストレス社会」であろう。

 

現代人は日々ストレスを抱え、悩み、据(しがらみ)のなかを生きている。

 

私だって例外ではない。朝早く起きて理不尽な満員電車に乗り、何時間もかけてクソみたいなFラン大学に通い、メスからゴミを見る様な目で見られ、満員の大便器の前で「早く出ろやボケェェェェ!!!!」と叫ぶ毎日である。

 

諸君にもストレス発散法があるだろう。寝る、ギャンブルをする、カラオケに行く、お風呂に入る、その方法は多岐に及ぶかも知れない。

 

俺の嘗てのストレス解消法を教えよう。今俺は秋葉原駅にいる。

 

ここ秋葉原は全国有数のオタク文化の中心地であり、行き交う人はオタク、オタク、オタクである。瞳孔の開いた目に眼鏡をかけ、チェック柄の服とパンッパンに詰まったリュックを背負う”オタク像”に近ければ近いほどここでは偉い。目当ての店に脇目も触れずに闊歩するその姿に人々は平伏す。

 

まず俺は酒を買う。500mlのストロングゼロ、オタクの知る最強の酒。アル中御用達。

 

ストロングゼロ片手に秋葉原の街を練り歩き、適当なゲームセンターに入る。

 

お目当てのゲームは湾岸ミッドナイト。隣で楽しそうにプレイしてる高校生の集団を尻目に俺は100円を入れた。そして選択画面で勢い良くアクセルを踏む。ー乱入モードー

 

私はすぐさまストロングゼロを飲み干し、缶を高校生に見えるように台に叩きつける。そして叫ぶ。「ぅぉらぁぁぁぁあ!!!」

 

固まる高校生、一気に地獄絵図へと化す。ゲームが始まった。私のメルセデス・ベンツはギア1に設定して首都高を80キロで走る。正に安全運転のお手本だ。飲酒をしていることを除いて。

 

対する高校生は戸惑いながらも首都高を爆走する。こちらを見ながらヒソヒソ何やら俺の事を話しているように見えた。確実に俺の悪口を言っている。

 

ここで勝負に出る私。ハンドルを叩く。

「クソがッッッ!!!!安全運転ヮラ!!!」

 

見事な台パン。半径3mが一気に凍りつく。健常者だけに備わっている「絶対に関わっちゃいけない人」センサーが発動する。ここで健常者がとる行動はひとつ。”極力対象を刺激しないようにその場を離れる”だ。

 

高校生集団は全速力で首都高を走り終え、リザルト画面で貧乏揺すりよろしくアクセルを連打し、そそくさと去っていった。普通に強かった。(断っておくがこれは嘗て狂っていた頃の俺がやっていた事である。週2で高尾山に登り、クリスマスには半裸でダンベル片手に渋谷で「クソがっっっっっ!!!!!!!」と叫んでいた頃の俺である。今の俺は立派に社会復帰をしている)

 

次に俺が向かうのはそのゲーセンの裏にある通りだ。この通りはメイド喫茶が乱立しており、日夜メイド服や制服、何をトチ狂ったのか忍者の格好をした姉ちゃんまでもが行き交うオタクに黄色い声を掛けて客引きをしている。(ひとつ補足しておくと、気持ち悪いオタクが良くメイドを口説いているのだが、それが物凄い気持ち悪いので一見の価値がある、とだけ言っておきたい)

 

次のターゲットはこの姉ちゃんである。この通りを歩けばまず俺のようなオタク面、オタクスタイル、オタク臭、見事にオタクライズされた野郎は間違いなく声を掛けられる。そこを狙う。

 

👱‍♀️「メイドカフェのご利用いかがですか〜❤」

 

かかった。

 

「大丈夫で〜す❤」

 

👱‍♀️「え?」

 

呆気に取られるアラサー女。素が出ている。私がここでする事、それは『メイドの声よりも高い声で客引きをあしらう』というものだった。私の猛攻は止まらない。

 

👱‍♀️「おにーさんどこから来たの?」

 

🙃「火星から〜❤」

 

彼女たちはこの時何を思っただろうか。単純にメイドカフェより精神科の方を紹介しようとしただろう。半年以上髪を切ることなく放置したボサボサの頭、崩壊した顔面、5頭身の短足から繰り出されるありえない高音に彼女たちは翻弄され続けた。

 

字面だと伝わりにくいかもしれないが、この”メイドで遊ぼ♪”(勝手に命名していた)はかなり楽しい。彼女達のプロ根性と通り過がりの知的障害者俺、がプライドをかけたバチバチの勝負をするのである。何回もやってると彼女達も免疫がついて、「あ、また来てくれたんだ〜❤」等と言ってくる。本当に、大したプロ意識だと思わされる。彼女達の力でここ秋葉原の経済は潤っているのだ。いわば彼女達はアキバの歯車。”要”だ。(何度も言っておくがこれは”嘗ての”私がやっていた事で、今の私はこんな大それた恥ずべき真似はしないのでそこは何卒ご了承頂きたく思う次第であります)

 

さて、これで終わるかと言われればそうではない。まだやるべき事がある。私はメイド通りから秋葉原のメインストリートまで走り抜け、エスカレーターを全力で上がりソプマップ5階に辿り着く。エロゲコーナーである。

 

ソプマップ5階と言えばエロゲーの”権威”である。野球でいえば甲子園、学問でいえば東大、エロゲーがこの「ソプマップ秋葉原店の5階」なのだ。

 

「シュッ!!!www」私は5階にだけかかっているR18と書かれた暖簾を効果音を付けて捲る。店内の客が一斉にこちらを向く。ここでこちらを向くようでは二流、雑魚だ。大学生と思しき新米兵2人組は人をバカにする感じの悪い笑い方をしてこちらを見ていた。馬鹿め、ターゲットはお前だよ。

 

私は新米兵2人組に近づく。そして話しかけた。

 

「このコーナーって本当に色々なゲームが取り揃えてあって素晴らしいですよね」

 

抑揚のないオタク特有の早口を浴びせる。ここは秋葉原、この話し方が強者の証なのだ。

 

「そう、、、ですね、、、」

 

新米兵の1匹が困りながら言葉を返す。私はもう止まらない。

 

「私はこのグリザイアシリーズが本当に好きでして、キャラのデフォルメ、デザイン、脚本、何をとっても一流と言わざるを得ないんですよwwwははっwww」

 

もう相手は困り果てていた。見た事もない敵が目の前にいるのだ。2人組は去っていった。それを日常のように店員は笑顔で眺めていたのが印象的だった。

 

2人組が帰った後も私はエロゲーコーナーを練り歩く。「うわぁ、このシリーズ新作出たんだぁ」「この主題歌やっべぇwww」「うっわぁ〜すっげー」なるべく高い声で、少年のように声を出す。本当はエロゲーなど金の無駄だと思っているのだが、エロゲーこそ我が人生、生きる糧、みたいなオタクを演じる。俺の撒いた餌にかかるまで俺はただ待つ。

 

エロゲー好きなんですか?」

 

釣れた。大物だ。

 

「そうですね、初めて、、5年くらいになるんですけど、もうかれこれ50本以上はやってるんじゃないですかね〜」

 

先程の新米兵とは比べ物にならないオタクライズされたオタク。いわばこの街の頂点。ドンof theドン。それが釣れた。

 

「そうなんですか、私はもうWindowsの初めの頃の時代からやってるんでwww数えきれないほどやってるんですけど(謎のイキリが入った)、どんなシリーズがお好きなんですか?」

 

「グリザイアです。(知ってるエロゲーがこれしかない。)」

 

「そうですか!!!グリザイアと言えば〜dj*kakbse)dksiebr@klzzndbr_wh@8e8oo...」

 

ここから先はマジで意味不明だった。にわかと本物、この格の差を知った。キメェ。シンプルにキメェ。

 

「よろしかったらこれ僕のTwitterのアカウントなんですけど、良かったらフォローしといてください」

 

そう言ってドンは俺にTwitterのアカウント画面を見せてきた。アイコンに幼女の顔面に精液がぶっかけられていた絵が挿入されていた。BIOには「ロリが好きです!」とハッキリと銘記されていた。キモい。キモすぎる。俺が過去に会ってきた誰よりキモい。何故こいつは隠す事なくこんな醜態を見ず知らずの人間に晒せるのだろうか。俺はわからなかった。人類はここまでキモくなれるのか。この時また1つ俺は人類の可能性を知った。私は笑顔で立ち去り、通報画面を押した。

 

3度目だが、この一連の行為は私が全力で頭がイカれてた時代にやっていた事である。今はそのゲーセンで大人しく音ゲーをして、メイドには顔を覚えられたまま「ありがとう」と手を振り、ソプマップには二度と立ち入っていない。

私は社会復帰をしたのだ。

 

P. S さっきソプマップ5階に行ったらドンがいて慌てて逃げた。俺はいつまでもここでは新米兵だ。

 

(完)

鬼に金棒 俺に精力剤(前編)

突然ですが本格的に餓死しそうなのでアフィリエイトでおまんまを食べようと思います。何を紹介するのか、少し考えましたが本能的にこういう系のジャンルが‘‘ふさわしい‘‘だろうという結論に至りこの商品を紹介する次第であります。

インターネットモール通販ランキング第一位男性サプリ

「いつまでも強い男でいたいあなたに」などと銘打っておりますが、残念なことにワタクシは下半身にお悩みどころか自信しかないんですね、伊達に下半身のグレイシー一族と言われていない訳です。桜庭だろうがヒョードルだろうがICHIGEKI☆必殺であります。もう頭の中は常にEROでいっぱいであり、股間は常に臨戦態勢。その様たるやアングロ=サクソンやネグロイドが恐れおののくばかりではなく、同じモンゴロイドからも「モンゴロイドの奇跡」と言われるばかりであります。

さて、ここに一つの疑問が生じる訳です。

 

「もし下半身に自信しかない人間が下半身にお悩みの方向けのサプリメンツを飲んだら果たしてどんな天災が起こるのか」

 

これをテーマに人体実験をしていきたいと思う。(因みにこれはノンフィクションであり、完全無欠のDocumentaryである。また、感想は個人の見解であり、品質を100%保証するものではありません。「私だから」出来たことです。)

 

手元にはサンプルがある訳です。面倒くさいので全部飲みました。「なるほどこれが噂のちんぽが最強になるサプリメンツか」と、「尿結石みたいな色してんな」と、飲む前からワクワクを隠し切れない私であります。とりあえず何もすることがないのでシコでもするかと思うわけですね、飲んだばっかりだから効き目なんてある訳がないのですが、効果が表れる前と後でどんな違いがあるのか調べる必要がありますから、そこはしっかりしなきゃいけないのであります。

射精(一回目)。いつも通りの、何百、何千と経験した快感が全身を駆け巡る。これだよこれ、こーれが良くて俺様は生きているわけヨ、これがなかったら俺は生きてイケネエyお、と毎度のことながら感動する訳であります。しばらくして、そうですね、15分くらいでしょうか、普通に「あ、これいけるな」と己の男根と対話をしてラウンド2を開始いたしました。サプリメンツの影響ではありません。私が強すぎるのです。ニセコイの小野寺小崎をオカズに扱くこと8分、またしても私の遺伝子を持った何億もの行き場のない子種が無慈悲な特攻を強いられたのであります(二回目)。

 

短期間に二回も射精したので流石に飽きたんでしょうか、私は漫画を読み始めました。

ToLOVEる”である。結城リト君みたいなハーレム生活がしたいなぁとか、金色のヤミに踏まれたいなぁ、などと妄想していると、何故か体の内側からエナジーが満ち溢れて参りました。

文字通りの

 

勃  起

 

であります。

股間は隆起し、汗が迸りました。例えるなら、そうですね、顔をとっかえられた直後のアンパンマンとでも言っておきましょうか、正しく「元気100倍」なのであります。一回目の射精から僅か45分で、私はもう3度目の自慰行為を始めていました。しかし、しかしであります、私はいつもの”a 自慰”と今回の”the 自慰”に幾許かの違いを感じたのでありました。

 

「硬くないか?オイ」

そうなのです、いつもの勃起とは比べ物にならないほど、その時の私の男根は硬かったのです。その硬さたるや、広大な巌もさえ一突きで穿つような、そんな力強ささえ感じ取れました。何が違うって”しなり”がもう違うんですね、しなりがエグいんです。カジキに引っ張られてる竿を180度回転させたものをご想像下さい。正しくアレになっていた訳であります。

 

射精(三回目)

とてつもない勢いで子種が飛び出て来ました。流石は巌をも穿つ海綿体の中を潜ってきただけあって、精鋭の子種が特攻を仕掛けてきたのであります。流石の私も思わず敬礼せずにはいられないものでありました。アーメン。あまりの勢いの良さに、私は理解するまで数秒の時間を要しました。(何故私の子種が顎についているのだァ?) ー人間というのは、何百回何千回と経験してきた事がある日突然違うと、途端に戸惑ってしまうのです。いつもなら臍の下に溜まるはずのイカ臭いカルピスもどきの液体が、とてつもない勢いで私の顔面目掛けて飛んできたのでありますから、無理もありません。ここに薬の効果が果てしないものである事に気づき始めた訳であります。人類の無限の可能性を感じながら、また人類の「恐ろしさ」を感じながら、私は子種を拭き取って行ったのであります。

 

まぁ、1時間に3回もfinishしたら疲れたんでちょっと横になったんですね、「ちょっと寝て、またシコるか」と軽い気持ちでうつ伏せに寝た訳です。眠りに就くこと数十分、私は謎の痛みに襲われて目覚めるのであります。

 

(ちんこが痛い)

寝る時、私はいつもうつ伏せで寝る癖があるんですね、その癖が仇となりました。薬の効き目が強すぎて、謎の勃起が起こったのです。寝ていたのに、ムスコが臨戦態勢になったのです。痛い。何が起こったかと言うと、私の全体重が股間にのしかかったのであります。痛い。いやー、流石にヒヤヒヤしました。もう折れるんじゃないかと、もう俺は子種を出せなくなるんじゃないかと、マジで冷や汗をかいたのであります。ハンパねぇなオイ。痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いITAIIIIIIIII!!!

ここで私の脳みそに天才的な閃きが起こったのであります。嘗て人類が文明を創ったように、嘗て古代の賢人が文字を発明したように、はたまたインドのどっかの人間が「ゼロ」の概念を発見したように、それは人類に於ける「必然」だったのかも知れません。

 

(床オナをしてみたい)

柔らかいマットの上や生理用品を穿いた状態で床オナをしたら一体どうなっちゃうのだろうと、一体どんな衝撃が脳に走るのかと、私の天才的な右脳君がちんこと会話を開始したんですね、ちんこくんは嫌がっています。「そんなことしたら俺が折れる、やめろ、やめてくれ」と、全力でJ(自慰)アラートを鳴らすのであります。程なくして、床オナを決行するに至りました。ちんこくんは結局腹を括ったようです。

決死の者だけが成せる、魂をかけた一発、マットの上に跨り、床オナを開始する次第であります。

 

「ナルホドっ!!!コレがそうかっ!!!人類は!!!ここまで進化していたかァァァァァ!!!!」

 

謎の自問自答が始まる。文字通りの”this is it”である。我が海綿体は、重さ61キロの圧力と生理用品に挟まれて何を思っただろう。ただ一言、”バチクソ気持ちいいなオイ”と思ったに違いない。この時、もし母親が俺の部屋に入ってきたら何を思っただろうか。痛い思いをして産んだ子供が生理用品を履き、うつ伏せになりながら「this is it!!!」とブツブツ呟きビンッビンに張り詰めた男根を床に擦りつけている、俺だったら何も言わず精神科を紹介すると思う。それくらい私の脳はショートしていた。

 

射精(四回目)

普段射精する量の1.2倍ほどの子種が溢れる。ちんこは5ピクを達成した。疲れた。老いを感じる。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉がある。私の男根はいつしか消え去ってしまうのだろうか、その場合消えた男根はどこに行くのだろうか、またその男根は己の一部と言えるのだろうかー謎の哲学が頭の中をぐるぐると回った。何も考えず寝ることにした。

 

2時間ほど眠ったところで、私は起床した。そして下半身の謎の違和感に気づく。

ー何故か勃起しているー

さすがの私も焦る。何故今、勃起しているのか。脳みそは何も稼働していない。言ってしまえば””NO ERO””状態なのである。エロくないのに、この勃起。目を疑う。己の男根が怖い。謎の怪物に寄生された感覚である。理解不能なこの状況に私の脳内回路はショートする

 

そして考えるのをやめた。

 

外に出てチャリを漕ぐ。無論勃起した状態で。ラーメン屋で大盛りラーメンを食べる。無論勃起した状態で。近所の百貨店に入る。無論勃起した状態で。最早「私」と「勃起」は同じもの、と脳が見なした。アイデンティティの確立である。勃起こそが我、であり我こそが勃起、「I am Bokki!!!I am Bokki!!!」と頭の中の蝶野正洋が叫ぶ。気づいたら便所の個室に入っていた。燃料を補給し、準備を整えた我がゼロ戦は大空へと飛び立って行った。

 

射精(五回目)(六回目)

超回復も甚だしいほどの射精である。人智を超えたシコはダブルスコアを達成した。ノーインターバルでのダブル射精。身体は震え、ヤバそうな汗が出たが当然無視した。その射精は無慈悲の射精である。

帰路、私の男根はまたしても勃起していた。

ー愚かだ。本物のバカだ。「何故煩悩が消え去った今、我が股間は隆起する?」我が問いに男根は答えない。『我ここに勃つ。』そう言わんばかりの勃起である。

なるほど、これがルターの言わんとしたことか、これが”改革”ってヤツなのか、私の男根は遥か時空を超え、16世紀のヴォルムスにいたことだろう。禁欲がモットーのプロテスタントが今の私の股間の膨れ具合を見たら倒れそうな有様ではあるが、私の”プロテスタンティズム”は確かにここに存在したのである。

 

長くなったので一旦ここで終わりにします。結論からいえば私はこの日2桁安打には届きませんでした。後半(書くかどうかは正直わからないが)が出来たらそのうち投稿します。

 

とりあえず買え。

みえるものばかりに とらわれると みえないものに あしもとを すくわれるよ

もう言っても平気だろう。

数年前の丁度今頃から、私はとある飲食店でバイトをしていた。金がないからバイトをする、という単純な理由で、何故そこで働きたいと思ったかと言えば単に「時給がいいから」という早計なものだった。無論金稼ぎ感覚でやるつもりだったのでモチベーションなんてゼロだし仕事もやる気なんて更々無い。当然無能で店長によく怒られてた。

そこでまぁ、ちょっと嫌な思いをした訳ですね、まぁシンプルに言えば店長に嫌われまして、職場での人間関係に苦労したのです。店長に嫌われると大変ですね、店長に媚をうる20代後半の元ヤンフリーターみたいなヒト科メスが寄ってたかって俺を虐める訳です。待っているのは露骨な嫌がらせ。俺だけ賄いが無いとかもうザラで、酷い時には舌打ちとか、目の前で悪口とか言ってくる有様であります。もう普通にパワハラの域だったんですけど、当の私は「ハハッ、今日の低賃金労働者と非正規雇用者はよく吠えるなぁ笑笑笑」と腹のなかで勝利宣言をしていたのでした(私の屈強な精神力と類い稀なる発想力の勝利と言ってもよろしいのでは無いでしょうか)。

そんな矢先に私の堪忍袋の緒がブチ切れる事件が起きましてね、まとまった金も貯まったし大学も忙しくなってきたのでそろそろ辞めようかと思いまして、店長に「来月から大学が忙しくなるので今月一杯でやめさせて頂きたく云々」と辞表を送ったんですね、

で、そうしたら次のバイトの時にクソ店長がもう嫌味という嫌味を私に言ってくる訳ですよ、何か言う度に「や、お前どうせ辞めるもんな、」と、「ま、お前は社会に出ても〜」と、なんだ道徳教育ってのは全く機能してないじゃないかと最早笑えて来るような罵声を私に浴びせてくる訳でして、いつもなら笑って「すんますぇ〜ん」っつって済ませてる私も流石にこの時だけはキレそうになりましたね。しかしまぁ、如何せん私は店長より仕事が出来ないことは自明の理であり、私が無能な事は揺るぎない事実な訳です。かといってこの理不尽に耐えろって言われたらそりゃ無理だろってことで、なにか復讐的な事をしてやろうと思い至ったのであります。アイツらがどうしたら一番嫌がるだろうかってことを四六時中考えてたんですね、そうしたら一つの解に辿り着いた訳です。

 

食べ〇グでボロクソ批判してやろ♥

 

飲食店である以上、食べ〇グという指標からは逃れらないんですね、仲の良いシェフ(この人も店長に嫌われてすぐ辞めてしまった)の人曰く、食べログが0.5違うと売上が倍近く変わってくる事もあるそうです。ああなるほど、食べ〇グってのはそんなに偉大なのかと、だったらその食べ〇グという媒体でボロっクソに、ほんとボロっっっクソに言ってやろうと、思い至った訳であります。(今考えると普通にどっかの法律とかに触れてそうではありますが、こちらもパワハラを受けていたのでそこは目には目をって事で。)

思い至ったその日から私は食べ〇グに書き込みを始めまして、家の中のあらゆる電子媒体を用いて最低評価、星1を押しまくった次第であります。ある時は母親のアカウントを使いましたり、また偶然知人が食べ〇グのヘビーユーザーだったのを知った際には、勝手に其奴のスマホを操作致しまして、容赦無く星1をつけたものでありました。加えて、口コミ欄の方には「店長の態度が横暴である」、「店長がバイトに叱ってる様を見ただけで飯が不味くなった」、これ以上は流石にバレるので伏せますが、もう兎にも角にも店長の悪口。店長のせいで飯が不味いとか、店長が不愉快で気分が悪いとか、そういうことばっか書き連ねた次第な訳です。

面白いことに、飲食業界の人間というのは食べログを逐一チェックしているようで、食べログの評価が低いと露骨にそれを気にする節が面白い程見て取れました。「食べログの口コミが最近あんまり良くねぇんだよ」とまた店長が不機嫌になり、いつものように俺に当たり、俺が食べログにクレームを寄せ、また店長が不機嫌になる、といったような無限の負のスパイラルを重ねる地獄のような日々があった事もここに記しておきたい所であります。(これを私は”食べロボロスの輪”と呼びたい。)

ある日、というか、食べ〇グが3.2を割ってから、いよいよ奴らに焦りが見え始めてそれはそれで最高に面白かったが、ここで潮時を感じた。良く知らんが、奴らにとって食べログの”3.2”というのは一種の絶対防衛ラインらしく、ここより下になると飲食店として評判がヨロしくない、との事だった。いい歳した大人がこんな電子媒体の星一つでここまでムキになるなんてバカバカしく思えたし、何より惨めに感じられた。

バイト最終日になった。私には最後の役割があった。「本日は体調が優れないので休みます。今までお世話になりましたあ(一言一句同じ文章を店長に送った)」

見事なまでのバックレである。これを送った直後、物凄い速さで既読がついたが、二度と彼奴の気持ち悪い文章を見たくなかったのでラインをブロックしてトーク履歴も消した。あの時、俺はやっとシャバの空気を吸えた気がした。人として成長できたかと問われたらあの時確実に「何か」が自分の中に起こったことは事実であり、それが今の自分の中で生きているかと問われたらそれも間違いなくyesと返せる自信がある。

あれから数年の時が過ぎた。俺は今でもバイトを辞める時はバックれるし、バイト先だろうと何処だろうと多少の理不尽を受けても流せるだけの屈強な精神力を身につけた。それは紛れもなくあのバイト先のお陰である。今では俺は寧ろあの小川という週六12時間勤務年収目算500万に満たない社会的弱者に感謝さえしている。それは今の世の中を上手く渡り歩く上で必要なスキルではないかと切に思う次第である。

 

~完~

皇帝の器

俺の性への目覚めはいつからかと言われたら、それは間違いなく小学生の頃だろう。

 

小学校の頃、俺は水泳教室に通っていた。その水泳教室は厳しいことで知られていて、根性のない俺がどうやって食らいついていったのか些か疑問に感じる人も多いと思う。引っ越す前に通っていた「コナミスイミングスクール」とかいうゆとり水遊びごっことは格が違った。準備体操の掛け声がもう体育会系で、「イイイイッ!!!イーーーー!!!ウウァァァン!!!!!ィィィイーーーー!!!!(多分準備運動する時のいち、にー、さん、しー、と言っているのだと思われる)」と獣のボイスを発していたし、6年生の兄ちゃんなんかもう身体がリアルヒクソン・グレイシーだった。

 

さて、俺が何故軍隊宛らの様な環境に適応できたか、ここいらで種明かしをしよう。1時間以上泳いで帰る時間になると、また準備運動をしてコーチが言うんですね、「君たちの身体は冷えてるのデ!!サウナとかジャグジーで充分に温まってから帰るようにして下さイイイイッ!!!」 最後獣の咆哮が聞こえたが、要するに『風邪ひかれたら困るから身体は温めとけ』って意味なんだと思う。私の目的はこれだった、いや、決してサウナとかジャグジーに入って気持ちいとかそういう話をしているのではない。それは半分正解で半分不正解である。練習が終わる。ガキが一斉にサウナ、ジャグジーに駆け込む。しかしガキに劣る私ではなかった。終わりの準備体操の時からジャグジーの良いポジションを取るために1ミリでも近い位置での場所取り、ややフライング気味のスタートダッシュをしたー 私の目的は「ジャグジー」だった。無事ジャグジーのお望みの場所を陣取れた私は早速『儀式』にかかる。ジャグジーの水が吹き出てるところに己のチンコをセットするのである。もうお分かりであろう、俺の目的は『チン=ボコ(当時俺と弟はそう命名していた)』であった。水が勢いよく噴射してる所にちんこを近づけると無性に気持ちがいいことに齢9の時点で私は気付いていたのである。最早天才という他ない。早い話、オナニーである。ティーンエイジャーのティーンエイジャーによるティーンエイジャーのための娯楽の原型がこの時俺には既に存在していたのだ。週一で味わえる、至高の一時、それは辛い練習を耐えるだけの動機を与える。飴と鞭、チン=ボコと練習、俺だけが知っている快感に小3の俺は物凄い興奮した。やがてその”秘伝の書”が弟にも伝わった。「すげぇや、すげぇや...」そう呟きながら涎を垂らして1人ジャグジーの椅子に反対向きで正座をしながら遠く先を見つめ、半身浴の体制をとる弟、それを優しく見守る兄。正しく変態であった。

 

ある日、事件が起こった。門外不出の秘伝の書が外部の人間に漏れたのである。俺と弟しか知らないはずの奥義がバレたのである、どうせあのクソガキが俺の友達にでも言ったのであろう。俺がいつものようにジャグジーに向かおうとしたら物凄い速さでジャグジーに飛び込み、噴出口にチンコを設置するあの独特のポーズを早々と取り始める友人の姿がそこにあったのだ。いや、冷静に考えてくださいよ、小学生の男女がジャグジーに浸かってる中一人だけジャグジーの外を向いてヨダレ垂らして半身浴をしてるんですよ、どう考えたって不自然じゃないですか、どう考えても「知ってる」人間じゃないとできない所業じゃないですか、そりゃその道の”開祖”の私にはお見通しですよ(因みに、この時の我々はチン=ボコの最大の弱点である”周りの人間に同化してかつ違和感を失くす”為の対策が取られており、横を向きながらさりげなくちんこのみを噴出口に当てる術を会得していた。あの姿勢を取るやつは間違いなく”初心者”なんだよな、)、もう1発で「あ、こりゃやべぇわ」って直感しましたよ、名刀の技法がバレた時の鍛治職人の顔ですよ、死、死な訳ですよ、死活問題、そりゃチン=ボコだけをモチベに1時間以上獣と泳いでる訳ですから、もう娯楽の一つや二つないとやってらんない訳ですね、パンと見世物、ジャグジーとチン=ボコ、そんな娯楽が庶民に知れ渡ったらどうなるか、その先あるのは

 

戦争

 

でした。快楽を享受しようとする男達の醜い戦争。もうジャグジーは小学校低学年の女子が集う楽園的な色はなくなり、飢えた獣の目をした小学校高学年の男達がバチバチのサバイバルバトルを繰り広げる戦場へと化したのでした。人間は醜い。一旦知った蜜の味を忘れる術はありませんでした。正に海戦。しかしそんな最中でも毎回陣地を勝ち取っていた将軍クラスの人間が3人いました。俺、弟、先程の友人、この3人でした。もうこの時になってくると我々も小学校高学年でガタイも良くなってきていたので、そのフィジカルを活かしてガキ共を駆逐していたんですね、弟も兄譲りの図々しさで毎回何故か「チン=ボコspot」を勝ち取っていました(マジで謎。あいつのどこにそんな強さがあるのか。そういえばあいつは昔から脚だけは早かった気がする。水泳はそこまでだったが。)

 

そんな時に黒船が現れた。いや、南下政策の陰か。兎に角強力な敵が現れた。ロシア人3人兄弟の出現である。あのスイミングスクールは都内のそこそこ立地の良いところにあり、外国人の多い場所で知られていた。その為、外国人が一般客として泳ぎにくること自体は珍しくはなかった。しかし、スイミングスクールに外国人が入り、剰えチン=ボコ戦争に参入する自体は我々の想像を遥か超えていた。我々モンゴロイドは、アングロサクソンにフィジカルで圧倒された。言葉が通じない上に堂々とフライングを決め、良い場所を陣取り、騒ぐ外人。幸いなことにチン=ボコそのものの概念はロシア人の知る範疇にはなかったようだが、ガキからしてみれば「ジャグジーの噴出口」なんて代物は興味の的だったのであろう、積極的にチン=ボコspotを陣取り始めた。残された道はひとつしかなかった。なるほど、戦争ってのはこうやって起こるのか、世界平和なんて無理なわけだ、幼い私はそう思った。

 

かくして、決戦の日は訪れた。いや、別に決戦と銘打つほどの諍いや格闘があった訳でもない。存在したのは変態集団とロシア人と精鋭3人の三つ巴のジャグジーの噴出口の取り合いである。いつも通りコーチが叫ぶ。「君たちの身体は冷えてるのデ!!サウナとかジャグジーで充分に温まってから帰るようにして下さイイイイッ!!!」馬鹿だ。こいつは本当に馬鹿だ。叫ぶ事しか脳のない脳筋野郎を尻目にロシア人が歩き始める。普段我々が此奴の言うことを遮って移動を始めるとブチ切れる癖にロシア人が移動を開始しても何も言わないクソ指導員、言葉の壁を感じされる。我々も柱の影に身を潜め足音を消してジャグジーに向かう。その刹那、ロシア人が我々の存在に気付く。馬鹿め、お前らと俺らじゃ賭ける想いってもんが違うんだよ、俺たちは命を賭けてんねん、あの時の俺は正にアクティウムの海戦のローマ兵であった。徹底した戦略、徹底した破壊ー結論から言えば我々は勝利した。ロシア人及び有象無象の変態は敗戦の民となった。正に俺はカエサル、そして皇帝。

来週以降、ロシア人はサウナに行くようになった。変態共も嘗ての勢力を失った。再びパクス・オナーナは訪れた。それは理想的なチン=ボコ環境であった。ジャグジーには昔のように女子小学生が集い、楽園へと化した。しかし、そんな平和なんぞすぐに終わった。数ヶ月が経ったある日、とあるババアが俺たちに言ってきた。「ウチの子にもジャグジーを使わせなさい、いつも貴方達が使ってるじゃない、

 

ズルい。」

ー民衆は瞬く間に暴徒と化し、皇帝に刃を向けた。強引に噴出口を奪う女、文句を付けて奪うクソガキ、俺たちに文句を言うババア、得てして衆愚政治の到来であった。混沌は混乱を呼び、それは次第に次の時代の到来を告げた。

 

そうこうしているうちに、俺はそのスイミングスクールを辞めた。理由は簡単で、中学受験に専念するためである。別に水泳に未練は無かったし、チン=ボコの快感よりも当時は受験へのストレスの方が強かった。

ある日、俺はチンコを弄っていた。俗に言うオナニーであった。快感は絶頂に達し、身に覚えのある快感が全身をよぎる。これは知っている。あの水泳教室で本能的に覚えた、誰かに教わった訳でもなく自力で発見した俺だけの文明であった。   「そうか、これだったのか」   ー私はこう一人呟いたのを覚えている。

 

それから数年の時がたった。俺は高校生になり、弟は中学に入学した。ある日のことである。

「なぁ、俺らチン=ボコってやってたじゃん、あれオナニーじゃね?」

 

私はこう思った。

 

(弟よ、お前もか。)

 

私はカエサルだったのだ。

 

(完)

お前らは本当の”自慰”ってヤツを知ってるか?

あれはいつだっただろうか

 

俺は自慰行為に明け暮れていた。来る日も、来る日も、「トラブルの金色のヤミ」と「ロザリオとバンパイアの白雪みぞれ」でシコり続けるだけの毎日。当時俺は白雪みぞれにガチ恋をしていた(金色のヤミは導入剤として活用していた。なにが導入剤なのか、今の俺には説明出来ない)。俺は彼女でシコり続けると己に誓ったのだ。暗闇の中進む、修羅の道。そのうち、規律が習慣へと変わり、習慣が惰性へと変わった。惰性でシコる毎日。その意味とやらを考える間もなく、快感が全身を駆け巡る。俺は自慰行為に取り憑かれた。そして自慰行為のし過ぎでちんこの皮が磨り減り、男根の形が歪になりかけた丁度その頃、俺はふと窓を見上げた。満月だった。煌々と輝く満月、それはあまりにも美しく、賢者モードの俺の心に強く訴えてきた。

「ハハッ、お月さんが笑ってらァ」 

中学生の俺はここで果てた。13回で己の限界を悟った。悔いはなかった。これ以上自慰行為をしたら、俺が俺でなくなると本能が警告した。齢14で知った己の最果て、その日から俺は少しだけ優しくなったような気がした。

 

 

確かあれは浪人の頃だ

 

俺は追い込まれていた。毎日が単調で、終わりの見えない悪夢を延々と見させられてるようだった。俺だけが辛い思いをして、周りの人間は楽しい思いをしている、そんな想いすら抱いていた。当時の俺の安息もまた自慰行為だった。河合塾の便所に篭って、己の男根をシゴいていた。その時だけ人間の温かみを感じられた。ある時、俺は逃げ出したくなった。取り敢えず河合塾の便所に駆け込んだ。中坊の頃の思い出がふと頭の中をよぎった。白雪みぞれに想いを馳せて、邁進し続けたあの日の夜。あの日の俺と当時の俺が重なった。あの日から性の衰えを感じても尚、俺は男根を、ちんこをしごいた。「クソォ、クソォ、クソォ」  何に憤慨し、何に哀哀としていたのか分からないが、俺は己を慰め続けた。半日以上立て篭もり、8回目の射精を終えた後、俺は自分が天性のキチガイであることを悟った。がしかし、自分の中で何かしらの変化があった事だけは確信した。

「そんなもんかァ」

俺は河合塾の大便器のある個室の中で、このセリフを言ったことを記憶している。

 

さて、ここで私は君たちに一つ問いたい。何故オナニーが「自慰行為」と言われるのか、なぜ快楽を齎すだけの一見生物学的に無意味な行為が、『自慰行為』になり得るのか、その真理を考えた事があるだろうか。自慰行為は太古から変わらぬヒト科オスの”業”である。おのののかが性のイデアであり、マリアが平和の象徴であるように、自慰はオスの業である。質問を変えよう。「自慰とは何か」、お前にそれが分かるだろうか。俺が答えよう。自慰とは「解」である。己の哲学や理不尽に対しての答えを求めた果てに、導き出される答えこそが”自慰”。ただシコるだけではそれは単なる猿のオナニーだ、それは自慰じゃない。もっと極限まで、三途の川が見えてくるまで”自慰”しないとそれは「解」にはならない。その道は困難を極める。心臓が破裂しそうになり、ちんこからたまに血が出て死にそうになる。てか死ぬ。しかし、中坊の頃見た満月も、浪人の頃悟った人生哲学も、紛れもない「解」であった。それだけは確かであったように思える。

 

この域に達するには並大抵の覚悟では到底無理な話である。やや話が迷走してしまったが、君たちの中から、自慰の本質を見つける者が出てくる事を願わんばかりである。

~完~

運動会の英雄

知り合いの家に泊まって布団の上でゴロゴロしていたらふと小学生の頃の記憶が蘇ってきたので思い出してみるとする。

 

あれは確か小学校3年生ぐらいの頃だっただろうか。当時僕たちの間ではBLEACHNARUTO結界師が流行っており、ある者は浣腸のポーズをして「火遁!」と叫び、またある者は人差し指を立てながら「ketsu 」「metsu」等と意味のわからない言葉叫んでいた。

 

そうこうしているうちにビッグイベント「運動会」の季節が近づいてきた。当時我々の中には、というか小学生全般に言えることかもしれないが、足が速い=人気者 という方程式が存在していた。運動会で一等賞をとった暁には、ドヤ顔で校内を闊歩し、女を侍らし、皇帝の座につく権限が与えられていた。

 

しかし、世の中には凡人の想像の上を遥かに上回る天才がいたのである。

 

運動会の徒競走というのはレベル別に振り分けられてるのはご存知だろうか。速い奴は速いグループ、遅い奴は遅いグループ、まぁようは公開処刑を避けるための配慮って事なのだろうが、その天才は本来なら誰も注目しないであろう一番遅いグループに属していた。

 

彼は元来走ることが苦手な類の人だった。水泳は比較的得意で、跳び箱に関してはそれなりの才能を発揮していた。それは彼自身も十分に理解していた様であった。しかしその代わり、彼には物凄い才能があった。それは人前であろうと揺るぎない自我を保てる屈強な精神力と、天才的な芸人根性、それが彼にはあった。

 

運動会の二日前、彼は誓った。

 

「俺は、運動会でビリになる訳にはいかない。お母さんの前で一等賞になるんだ。

 

俺は火影になる。」

 

この時の彼の目は、明らかに腹を括った人間の目をしていた。それはまるで、いつの日か観た太平洋戦争末期を題材にしたNHKのドキュメンタリー番組で、『靖国で会おう』と誓った特攻隊員のそれに似ていたようにも思えた。

 

そしてXデーは訪れた。運動会当日、勝者の愉悦と敗北者の慟哭がこだまする中、3年生による徒競走が行われた。

 

さて、私は冒頭に「当時我々の間ではNARUTOが流行っていた」と言ったのを覚えているであろうか、そして”NARUTO走り”なるものを知っているだろうか。知らなければYouTubeで見て欲しいのだが、言ってしまえば凄まじく「ダサい」のである。手を後ろにして顔面を突き出し、体重を前に傾けて走るその様は「ダサい」の一言に尽きるものであった。当時、我々の中ですら運動会でそのNARUTO走りをする事は不可能とされていた。どんなお調子者も、親の前で、はたまた全校生徒の見てる前で醜態を晒す事が、果たしてどれほどの事態を引き起こすか、想像する事すらできなかった。

 

彼が走る番になった。当然、一番遅いグループなので見るからに遅そうなデブと運動神経の無さそうなヒョロガリ人間しかいない。誰も注目する筈がなかった。ピストルが鳴るまでは。

 

ヨーイドン、渇いた音が、5月の湿った空に鳴り響いた。

 

その日彼は伝説となった。

 

全校生徒全員が、80メートルをNARUTO走りで疾走する人間に釘付けになった。何故その走り方をするのか、どうやったらあの様な醜態を晒せる精神力が培われるのか、何故あんなにも遅いのか、そのような言葉が飛び交っていた。しかし、彼がその日一番の”英雄”になったのは言うまでもなかった。6年生のリレーのアンカーでも、組体操のピラミッドの一番上に立つどチビでも、騎馬戦の大将戦の騎手でもなかった。彼は紛れもなく「革命」を起こしたのであった。

 

「革命」が、終わった。結論から言うと、彼は1位ではなかった。3位という何方かと言えば不本意な結果であった。しかし、誰が真の英雄か、火を見るよりも明らかであった。

 

我々は時に、結果を求める事そのものに躍起になる余り、その過程、そのやり方に盲目になる事がある。彼のあの行為は、我々が普段見落としている「過程」や「結果への執念」、そういったものの大切さを今一度問うているのかも知れない。そうだろう、11年前の俺よ。