Werther_is_kyokon’s blog

R18となっております

Mr.Childrenの””その他””の仕事について

Mr.childrenというバンドを知らない者はいないだろう。ヒット曲は数知れず、全ての世代の日本人が知っている。特に、ボーカルの桜井和寿の作詞センスは、他のアーティストの追随を許さない天性のものと言ってもよいだろう。日本人でMr.Childrenを知らない者は、教養の欠落ですらある。簿記界の滝澤ななみ、法曹に於ける岡口基一、その次元の人間と言える。

かくいう私も、青二才の頃はミスチルを聞いて悦に浸っていた記憶がある。一昨年の院試とか卒業とか卒論とか、諸々の地獄で頭の皺が男梅のキャラクター以上に増えた頃も聴いていた気がしなくもない。(詳細はここに載せておく)

 

思い返すと、桜井の歌詞は常に「本質」であった様に思える。だからこそ、精神が疲弊した時に聴くと脳の皺にぶっささる。だからこそ、どこぞの「会いたくて震える」だけのオナゴや、「愛は勝つ」という使い古されたセリフしか言えないおっさんみたいな、所謂”一発屋”と呼ばれるアーティストとは異なる道を歩めたのだろう。

 

一方で、桜井以外のメンバーについて、知っているものは何人いるだろうか。ギター、ベース、ドラム。この楽器を弾いている人間がいることは想像できるのだが、彼らが誰なのか、どういう人物なのか、それを詳細に知っているものは少ないのではないだろうか。間違いなく彼らも大人気バンドMr.childrenのメンバーであることは皆が認める処ではあるのだが、具体的なイメージはボーカル且つ作詞担当の"アイツ"のせいでかすんでしまうのも事実だ。

また、彼ら3人は、作詞や作曲という音楽に於ける創作活動をしない以上、一体何をして30年を過ごしてきたのだろうかという疑問も生まれる。同時に、彼らは櫻井という天才の影に隠れながらも確かな才能を持つ非凡な人間なのか、はたまた単に幸運が過ぎるだけの音楽隊なのか、という疑念も生じた。

この謎について、先週無職のおっさん3人で検討した結果、一つの明確な答えが出たので炎上必至でここに書き連ねるとする。全国のMr.Childrenファン、音楽に人生を捧げる名もなき天才の卵、彼ら3人同様に天才の影に隠れたアーティスト各位には予め最大級の詫びをしておかないとドロップキックされそうなので先手を打って謝っておこう。

 

まず、Mr.Childrenの活動に於ける最大戦力、もとい肝心要の人物は、間違いなく作詞担当&ボーカルの櫻井である。Mr.Childrenは、この櫻井を軸に展開される。Mr.Childrenの偉大な功績は彼の力無くしては間違いなく達成できなかったのであり、メンバー内でもそれは周知の事実のようだ。まさに櫻井様々と言える。

そして、Mr.Childrenのヒット曲にはある規則性があることに気づく。それは、

 

「櫻井が病んでいる時に作った作詞はモロにバカ売れしている」

 

という信じ難い事実である。94~98年頃の櫻井は慢性的な鬱病に苦しんでいたそうだ。正直あのレベルの成功を手にして何を病むのかという感じだが、事実この頃の櫻井は暗く、それ故作詞もこの世の真髄に触れるような深淵級の代物が連発する。無論ファンはそれを望む。売れる。何故かこの男の後ろで楽器を弾いているだけで、金が唸るように入ってくる。

これを見た3名は何を思うだろうか。「自分には桜井の様な作詞の才能はない」と思ったことだろう。自分の存在意義について考えては自己嫌悪に陥り、櫻井の才能に嫉妬した事だろう。しかし、彼ら三人はMr.Childrenのメンバーであり、櫻井の良き理解者である事もまた事実である。彼らなくして櫻井は活動はできない。彼ら三人が櫻井を必要としているのと同じく、櫻井も彼らの支えを必要としている。

そして、ある一つの答えに辿り着く。

 

櫻井を病ませれば、

 

 。

 

この答えに辿り着いてからは、彼らの行動に革新が起こった事だろう。顔を合わせるなり未達の月末時の野○證券バリの激詰めを行い、光○信の如く罵声を浴びせたことだろう。我々は、櫻井の四年間の鬱病は、人為的に作られたものだったと結論付け、彼ら三人は櫻井を病ませる天性の才能があると確信した。音楽云々は小林武史にでもやらせておけば良いのだ。櫻井を病ませ、完璧な作詞を作らせ、世に放つ。これがMr.Childrenであった。

 

しかし、この一見完璧と言える作戦も、ある日終焉を迎える。櫻井の精神が屈強になったのである。21世紀に入ると、彼は途端に柔和な表情となり、これまでの尖った歌詞が無くなり始めた。彼らは慌てふためいた事だろう。「芯を喰え。」詰めても詰めても、櫻井は笑う。笑顔と皺が似合い始める。

 

俺は…

 

オレたちは…。

 

……………。

 

となって早20年近く経ったのが今のMr.Childrenであろう。尚の事はない。彼らはパワハラの天才だったのだ。彼らが病むと、櫻井のメンタルが改善され、今度は明るいハッピーな歌詞が生まれる。根強いファンは勿論買う。売れる。そして後ろで楽器を弾くだけで金が入る。

 

一見、夢のような人生である。しかし、その裏には天才たちの葛藤や苦悩があった可能性がある事を、我々は忘れてはいけない。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

(完)

 

日本一就活の強い男が靴職人をやっているのが残念でならない。

この国には「就活」というものがある。ある者は高校生活の終わり際に、またある者は大学3年生の半ばぐらいから、なんとなくそれについて考え始めて、自分という存在について想いを馳せては、現実とのギャップに苦しむ。大抵の国では学歴というものが最重要視されるらしいのだが、どうもこの国は「コミュニケーション能力」というあまりにも漠然とした代物がいい感じに重要視されている。嘘か誠かその真偽は確かではないが、確かに筆者の周りを見てもその傾向は感じる。東大の根暗と明治大学の明るい奴がいたら、偏差値のジャイアントキリングは起こりうる。

 

また、このコミュニケーション能力以外にも、この国には暗黙の了解で同じく重要視されているものが存在する。それは「コネ」だ。最早当たり前すぎて誰もそこには触れようとしていない。慶○義塾大学體育会野球部のサイトに何故か掲げてある四年生の進路先や、芸能人や政治家の倅がトンデモ企業に就職している事から、当然の事実として世の中に浸透している。日本人は権威的な物を崇拝する生き物だからこの謎システムに疑問の余地すら抱かないだろうが、就活における反コミュケーションイズムを掲げる人間はまずこの事実にこそ声をあげては如何だろうかとたまに思う。

 

さて、「コネ」についてだが、私は就活において誰が最も最強であるかについて考えたことがある。しかし、腐ってもこの国は表向きは平等を謳う。ただの成金上がりでは世間様に叩かれる。家系や業績、そして品位、またある程度の学歴を要して、それに付随してコネがあって初めて最強の名を冠する。

色々と考えた末に、一人の人間に私の全神経が集中した。家柄、親の業績、品位、そして学歴。全てに申し分のないUR(因みに私は昨年このUR(×ウルトラ・レア)と巷で呼ばれている機構に書類で落とされた記憶がある。東大、京大の友人も挙ってエントリーしたが皆書類落ちをしたというなんとも不思議な現象が発生した。その後、四季報を見たら偏差値40代の大学から内定者が出てて大層驚いたのは言うまでもない。)的存在を発掘した。

 

コネとは、偉大でなくてはならない。では「偉大」とは何か。それは権威であり、匠である。歴史に名を残した歴戦の武将であり、巨大な権力相手に我が身一つで己を貫いた1人の男でもある。要は「強さ」だ。品位、家柄、学歴、親。これらの要素は強さという一つの概念に収束する。言い換えれば、コネは強い人間の下に生まれると考えて良い。

 

ではその男とは誰なのか。その男の名は花田優一である。彼は平成の和製横綱貴乃花の倅であり、同じく横綱若乃花の甥でもある。また、名力士貴ノ花の孫でもあり、あの藤田紀子の孫でもある。文字通り相撲界のサラブレッド、家系図的を見せられたら彼の現在の職業を知らないものなら皆力士であると予想するだろう。

 

想像して貰いたい。君は今有名企業の人事をやっている。新卒採用をして書類に目を通すと、「花田」という珍しい名前が書いてある。そして住所欄に記載された「東京都江東区東砂」と言う文言。Googleで検索をかけると「貴乃花部屋」との文字が映し出される。

間違いない。“”奴“”の倅だ。

 

脳裏には華々しい横綱相撲で日本中を熱狂させた“奴”の姿が思い浮かぶだろう。君は悩む。奴の倅を見てみたい。奴の日常について聞いてみたい。家庭での奴はどんな人間なのか、兄貴との関係、母親との関係、色々な思いが交錯する。最早そこに公平性などない。「花田」という文字を見たその瞬間から、貴方(×あなた◯たかのかた)は優一を通す。こうして「コネ」は生まれる。決して忖度ではない。人事部が食いついて、興味を持って、魅力を感じたのだ。不正は介在しない。コネとは敗者の理由付けに過ぎない。悩んでいると、上司から「ちょっと来なさい」と声がかかり、普段は入れないような部屋に入ると、そこには親父と叔父が揃い踏みで君に頭を下げている。親が就職の手助けをすることはこの業界では珍しくない。呆気に取られていると、「よろしくお願いします」と180超えの大男二人が頭を下げて来るではないか。もう内定確定である。

こうして優一は虎○と光○によって就職全勝は約束されるだろう。その後、彼はどこの企業に入るか悩む。電通か、フジか、集英社か、三菱か。そこで出てくるのが紀子である。祖母の一存で出版社に行くだろう。あの家はかつて出版社に目の敵にされた過去がある。ここいらで身内を送っておきたい。

しかし社内では当然「コネ」と揶揄される。そして配属は間違いなく休載続きのHUNTER×HUNTERの編集である。「なに、あんな仕事猫でもできる。適当に富樫を数年に一回書かせるだけでいいのだからな」人事部はこう言うに違いない。

 

しかし、ここでも優一は上手く立ち回る。富樫と初顔合わせ。「編集担当になりました、“”花田“”と申します。」そこには花田と名乗る男と、両脇に”奴ら“がいる。富樫もまた日本人。奴らを知らない訳もない。そして奴らが口を開く。「富樫さん、倅を宜しく頼みます」「甥を頼みます」

 

ここで富樫は悟る。

「俺は“”かわいがり”“にあう。」

こと肉体に於いて、彼は凡庸であった。あの二人に肉体で勝てる人間は日の本には存在しない。もし、彼らに勝てる人間がこの世に存在するとすれば、後にも先にもあのモンゴル人、ダワジャルガルだけである。その刹那、足の爪先から頭のてっぺんまで「恐怖」に支配される。

 

「やばい。」

 

心臓の鼓動は加速し、呼吸は乱れる。身体中から汗が溢れ、本能が逃げろと叫んでいる。

 

 

、、

 

、、、

 

それからの富樫は勤勉であった。全盛期の秋本治の如く連載し、不可能と言われた完結まで達成した。社内では最早優一を揶揄する者などいなくなっていた。正月に集英社で開かれる新年会で上司から「優一君よくやってくれた。君は我が社の誇りだ。」と投げかけられるだろう。画して、優一は集英社きっての名編集者となった。そして、漫画家達の間でこんな噂が流れる事だろう。

 

「神保町には“鬼子”がいる。鬼を2人携えた、鬼子がいる。決してそれには逆らうな。」

 

(完)

ここまでのストーリーは、決して絵空事では無い。現に世の中には、コネは存在している。というより、コネが有れば誰だって使う。それは世の中の道理だ。

しかし、かの花田優一公は今靴職人をやっている。意味がわからない。お前の本来行くべき場所はそんな寂れた靴工場ではない。大銀杏を頭につけて両国の直径4.55メートルの円の上でぶつかるか、千代田区神田神保町の出版社で親父と共に冨樫の尻を叩いて、待望の連載をさせることである。

話題が変わるが、昨今「子供部屋おじさん」というワードをよく耳にする。社会人なのに実家から会社に通っていると、令和のご時世ではこの様な言われようになるらしい。いい歳なのに自立せずにいる人間として烙印を押されるとのことだ。

しかし少し頭を使ってみると、実家住みで東京の企業に通えると言うことは、金持ちの現れであることがわかる。それは「強さ」そのものである。もう少し広い視点で見てみると、この言葉は不動産会社が人々の賃貸契約意欲を掻き立てる目的で付けている事にも気づく。なるほど、世間様というのはいい加減なものだなと思わされる今日この頃である。そこまで家柄主義を憎むなら、豊○章男や鳩山○紀夫をぶっ叩いてほしいものである。私は今、TOYOTAブリジストンに祈られて頗る期限が悪い。祈られているという事は、どうやら、私の家柄はまともではないようで実に情けない限りである。

 

(完)

芥川龍之介を超える「地獄変」を経験したのでここに記す。

院試に受かってました。まあ大した大学でもないし、内部進学だったので偉そうなことは言えませんが、このご時世“望まない院試”を余儀なくされる人もいましょうから、もしかしたら私のこのしょうもない体験談が誰かの役に立って、そいつがのちにノーベル賞を受賞して記者会見で「Werther_is_kyokonさんのブログがきっかけで受賞できました」と言って私が一躍“時の人”になれる可能性に賭けて今回筆をとる次第であります。

 

ここでは私がなぜ院進しようと思ったとか、専門はなんですとか、どういう研究をしようと思ってますとか、勉強は何をしました等、その手の何も需要のない話は書く気が無い事を予めご了承願いたいし、その類を所望の方は「東京大学 院試 合格」とか調べて下されば無限に出てくるのでそちらをご覧になる事を推奨したい。今回は「一年間で46単位を取る目標を立てた結果就活をやらかして大学4年の2月に進路が決まらなくても、その後精神を保って合格に至った経緯」について書き記す。

 

まず初めに言いたいのは、このような誰がどう考えても自殺行為に思えるスケジュールを組むことは本気でお勧めしない。実際に、私はこの数ヶ月で生きるか死ぬかを本気で彷徨ったし、見た目がとてつもなく老けた。人生の帰路に佇んだ時、人間はここまでストレスを抱えるのかというくらい精神的に病む。なので基本的に院進を考えている人は早めに試験を受ける事を勧める。二次募集の「募集人数:若干名」にビビることなく学問に打ち込む方が遥かに精神的に楽と言えるだろう。しかし、このブログを読む読者諸君の中には、若さ故の怖い物見たさで、就職活動に精を出すことなく「まあ適当に失敗したら院試でも受けっかw」という数ヶ月前の私の様な状況の物がいるだろう。

 

よかろう。その者のみこの先の私の地獄編を読む事を許可する。

 

まず、己の精神状況を客観的に分析することから二次募集の院試戦争は始まる。具体的に、90年代のMr.Childrenを適当に5曲聴いて頂きたい。心にブッ刺さる曲が4曲以上ある場合はかなりラリっているといえよう。2〜3曲刺さる人は、「当時の桜井和寿は君らと同い年でこの曲を作っていた」という事実を踏まえて刺さった曲を聞いてみるといい。聴き終わった頃には大きな自己嫌悪に陥っている筈である。まずこの精神状態を受け入れて、そして克服するところから勝負は始まる。刺さらないそこの君は危機感が足りない。

そもそも、試験とは精神状態がモノを言う。君たちの中にも、いい年して「模試は出来たけど受験本番で、、、」と宣って大学受験の失敗談について武勇伝の如く語る“”甘ったれた“”人間がいることだろう。お話にならない。昔の失敗談から何も学んでいない。その精神力の弱さを克服しなければこの先の人生でそいつは永遠に同じ過ちを繰り返す事を私はここに保証する。受験、就活、出世、人生とは勝負事の連続である。どこぞの元国家主席語録に、「何かを勝ち取るには、まずこの世界について知る必要がある」という言葉がある。人生の大事な岐路には勝負事が絡んでいることが明白なのは20年以上生きている人間なら誰でも知っている。実力が拮抗している者が同じ土俵に立った時、明暗を分けるのはひとえに肝っ玉の強さである。ぶっつけ本番で力を出せる人間と出せない人間、これは実力云々以前に、人間としての優劣を如実に映し出している。それでは、人間力の要と言える精神力を養うにはどうすれば良いのか、それは第一に己を知り、弱さを克服することである。その方法として私は“ミスチル判定”を用いた迄である。

他にも二郎の大を死ぬ気で食う、水風呂に20分以上浸かる、といった荒療治があるが基本的にその後の健康に支障をきたすのでお勧めはしない。桜井は聞く者の魂だけを傷つける。心のリストカットを毎日行い、自己嫌悪を乗り越えた先に、謎の境地に辿り着く。それを人は万能感と呼ぶ。万能の境地に行く事をまず目指す、これが最も肝要と言える。

 

桜井を知り、己を知った諸君は、この時点で他の受験生の一歩先にいる。今やGRAY程度では刺さらなくなっているので、勉強のBGMに聞いてみるといい。自身の人間力の伸びっぷりに感動することだろう。桑田、浜崎、そして稲葉”先輩“は最早鼻で笑うレベルである。こうなったら第二段階に入る。

 

第二段階は、“自分より優秀な人間を受けさせない”工作をすることである。同じ大学学部に、「就活失敗したら院進かなア」と言ってるそこそこ優秀な人間がいたら、そいつの動向を逐一監視する必要がある。大抵優秀なので内定をもらっているケースが殆どなのだが、ごく稀に院進を本格的に考えてきやがる奴がいる。それは非常に困る。ただでさえ10人、20人しか受からない試験の貴重な一枠が奪われようとしているのだから、それは是が非でも阻止したいところだ。私の場合、2人受けようとしていた人間がいたので「院に行くと胃潰瘍になって吐血する」「院にはブ男しかいない(女は結局イケメンに惹かれる)から行っても地獄」「恵まれない東京の子ども(23歳独身)のために受けるな」「どうせ試験を受けるなら公務員試験を受けなさい」などの文言を隙アラバ言った。その結果、なんと全員の院進の回避と戦略的留年をさせる事に成功した。古代中国の戦術家に、「三十六計逃げるに如かず」という言葉がある。負ける戦いをするなら、そいつらと戦わない策を考えた方が遥かに良いだろう。二次募集とは命をかけた争いである。

 

ここまで来れば、君たちは他の受験生の遥か先を歩んでいる事だろう。顔つきは修羅の顔になり、勝つ自分だけをイメージしている。誰の目にも“何かをやっている人”に映るだろうし、道を歩けば国家権力から声を掛けられる頻度も増える。没关系。それは君たちが人間的に強くなった故の出来事である。桜田門の紋章がビビっている程度に流せば良い。

 

試験本番、これが最後の段階である。会場にいる人間は、全員進路が未定の人間である。それ故に顔が引き攣っていたり、緊張でガチガチになっている人間も少なくない。そんな中、私は何をしていたかというと、会場が開く迄の間、うんこ座りをしてMr.Childrenを聴きながら中本を2つ食っていた。腹が減っては戦はできない。腹に何か入っていたら人間強気になれる。二郎から出てくるオタクが無性に勝ち誇った顔をしているのは、腹が満たされて上機嫌になっているからである。デカい音でゲップしたら変な目で見られるが桜井が「残さずに全部食べてやる」と耳元で叫んでいるので無事完飲した。名もなき浮浪者がここに爆誕していた。皆スーツを着ていたが俺は私服だったのを覚えている。

どう考えても舐めている。いや、舐めるぐらいが丁度いいのだ。何事も舐めてかかるな、舐めてかかると足元を掬われる、とよく私は祖母に言われた。だったら掬われなくすればいいだけの話である。掬われない程度に舐めることーこれが私の編み出した気の持ちようであった。元来、私は気が弱かった。小さい頃は本番になると緊張で手が震えた。さらば、万全の精神、万全の肉体で臨むべきだとある日私は思った。あの日の気弱な少年は、傍若無人な世間知らずへと昇華した。

時に、私は「虚勢の重要性」について考えることがある。他人に対して、己の強さを本質以上に見せつけることで優位に立つ事を狙うという行為、世間はこれを極端に軽視している。他人からの評価は、そいつの目に映ったモノでのみ判断される。試験とは満点をとる事が本質でない。一般的に、点数で他人より優位に立つ事が試験に勝つ事を意味する。先述したように、ぶっつけ本番で実力が拮抗している者同士が戦った場合、精神面が明暗を分けると私は考えている。そういう宗教に入っている。精神面で勝るには、①自分の精神を強くする②相手の精神を下げる の2択が考えられる。後者は虚勢が意外と効く。良くも悪くも、人は自分が見たものを最も信頼する。勝手に解釈をして、ありもしない偶像を作り出し、その偶像に苦しむ。これはヒトの本能である。誰かに教わるまでもなく、ヒトはこの術を身につける。

 

恥ずかしい話だが、私は生まれつき脳味噌の作りが凡人の半分程度であった。特に、勉強に関しては苦労した記憶がある。故に多くの失敗もした。阿呆な人間性も相まって、ここには書けない経験もした。そこで、私はこの数多の失敗から学んだ精神力、そして他人以上に無駄に踏んだ場数、これこそが私の武器になりうる事を悟った。これからの私の人生も、この精神、この信条のまま生きることは間違いないと確信した。「失敗」、人はこの言葉を過度に恐れる。恐れるあまり、失敗だけを回避することに躍起になる。本質は、「勝利する」ことであって「失敗の回避」ではないと切に思う。失敗を恐れ、無難を求める者、これを人は凡庸と呼ぶ。失敗を回避する事に躍起になり、なにかに取り憑かれたかの如く平凡に成り下がった人間を私は知っている。それは果たして成功と呼べるのだろうか。

 

振り返ってみると、紛れもなくこの数ヶ月は地獄であった。恐らく、他の受験生も同様に焦りや緊張、ストレスを抱えていた事だろう。私はこの状況を前にして、人より少しだけ多くある、経験や精神力という漠然とした代物を携えて臨んだ。そこに私は一握の望みをかけた。当然、成功の保証はどこにもなかった。落ちていたら恐らく死んでいた。本気で自殺していた。結果論に他ならないが、今までの人生、私という人間性、桜井の言葉を借りれば「Mr.myself」に謝辞を送りたい。

上から目線でやや説教臭い文章になったことに関して、ここに最大限のお詫びを添付して締める。

 

ps 今ラインに何か送っても返信できないので連絡ある人はDMかメールにお願いします。

 

(完)

 

国語の教科書にあった「形」の現代版をやってみたのでここに垂れ流すとする。

2015年に高校を卒業した頃は、浪人が決まった鬱屈さに加えて、「5年もしたら社会人になってるんやろな」などと遠い未来に思いを馳せたもので、また翌年大学に進学して地球の裏側でやってるオリンピックを眺めているときは、「次の五輪がやる頃には社会人になってんのか」なんて思っておりましたが、いざその時になってみますと、相も変わらず私は学生というご身分をやっている有様で、未来を思うってのは単なる絵空事でしかないんだなと思う次第であります。

でもしかしまあ、そんな私も少しずつではありますけれども社会に向けてまるでベルトコンベアのごとく運ばれているってのも事実でして、今この2020年5月には一丁前に就活ってのをやらされている訳なんですわ。はるか遠い昔、俺がまだ大学二年生のちんちんだして暴れてた頃だったかに、図太さに定評のあった高校の友人が就活関連でTwitterで病みまくってるのをみて、二年後の自分と重ねたりもしていました(幸いなことに二年後お前は相変わらず二郎食って健康な精神で3年生やってるよと今の俺から言いたい)が、いざ就活っていう土俵に立たされると、一年後なのに全く先行きの見えない、そんな近くて不鮮明な将来を考えただけで気が狂いそうになるのも大いに納得できます。

そんな状況に立たされたら、人間まともなことをしなくなる訳でして、昨年最終面接で「私の尊敬する人物はスティーブ・ジョブズです」と言ってリンゴをつぶして内定を掴み取った(後日その内定を握りつぶしてやったと声高々と話していた)友人や女子大の事務職に応募した京大生など、誰しも今考えるとトチ狂ってた話の一つや二つありましょう。当の私も実は昨年の某社の面接で一発カマしていたのをふと思い出したので、ここに懺悔させていただく次第である。

 

2019年秋、確か世の中は国民的ショタ好きのジャニー喜多川が死んだとかその手の話でもちきりだったと思う。メディアは喜多川を礼賛し、人々はそこそこの好景気に浮足立っていた。

 当の私はというと、クソみたいなエピソードとどうしようもない資格を引っ提げて、とりあえず知ってる企業に応募して「就活」をした気になっておりました。今考えると「あほ」以外の何物でもない。

幸いにも、エントリーシートでバッサリ切られる大学ではなかったので何個かは通ったんですね、そんで次は面接をしましょうとの案件が送られてきまして、さあどうするかって なりましてね、いろいろ考えました。でもね、結局使えそうな作戦ってのはパッと思いつかないのが人間なんですね、最終的に「場当たり」で何とかしようとの結論に至りました。(話すのは凡人より幾分かマシだろうとの思惑により)

そんでもって当日になって会場につくと、絵にかいたような健常者という健常者が胡散臭い笑顔浮かべて偽善者面してるんですわ、経験した人ならわかると思うんですけど、あの顔は本当に人間の何か根底にある”悪い部分”を体現しているようにしか見えないんです、本当に。入って早々にニタアアアって笑ってくる明治大学商学部の野郎の顔が忘れられない。席に着くと、A4大くらいの紙で「自己紹介を済ませてください」と書かれたものがおいてあるんですね。私はこういう時は必ず””他人の出方を伺ってどうふるまうか決める””類の人間だったので、まずはこいつらがどこの馬の骨か見てやろうと斜めに構えたものでありました。(アスペ)

やはり開始早々に動いたのは明治大学商学部の”奴”でした。「えっと、明治大学商学部の(ワントーン高い)○○です。今私はサークルの代表をやってまして~」と、一丁前にかましてやったぞ的な顔でほざいてんですわ、周りの雌も「頭いい~」なんてほざいてるもんだからその顔がますますにたあああああああって気持ち悪くなってる。マジで。こういうやつが銀座で女口説いてる。下半身木村敏敏敏にして酒イキリをしてる。すかさず「お前さ、凸〇印刷とかいうのがそんなにええんか?お前はいったい何がしたいんだ?」などとリクルート魂を受け継ぐ私(二次選考落ち)がテレパシーを送るわけであります。次の眼鏡の男はなかなかの曲者でしてね、おそらく俺と同じことを考えていたのでしょう。「早稲田大学文化構想学部の△△です、よろしくお願いします」の一言で終わらせたんですね、顔が終始しかめっ面で明治君に露骨に腹を立ててる印象でした。そのあとの女二人はどっかの私大で、まがいなりにもそこそこの国公立大学裏口入学とはいえ在籍している私としましてはそのまま”チキチキ学歴バトル”をしてもよかったのですが、知り合いが一人もいない環境下だったので一発かましてみることのしました。

 

東京大学文学部インド哲学科出身のKです。よろしくお願いします」

 

もうね、一瞬で場が凍り付きました。私はこの時初めて偏差値教育の真の恐ろしさというものを垣間見た気が致します。明治君は真顔に、早稲田君はよくやったといわんばかりの顔に、ほかの雌は若干引いておりました。人間23年、はったりだけで生きてきた私はさらに追撃をかける次第であります。

 

「僕は明治君とは違ってサークルには入ってないんですよね」

 

完璧なまでの”狙い撃ち”であります。私の出身地の京都府には「京ことば」という遠回しに人間をディスるとても便利な言葉がありまして、この場合、「お前はうるせえから黙ってろ」が直訳としては正しかったと思います。果たして、東京駿河台の”とうきょうもん”には効果はあるのか観察してみたところ、なんと””覿面””でありました。急に口数が減って、私を現人神か何かのような顔で見て「どうしてこの業界に興味がわいたんですか?」なんて聞いてくる有様であります。適当に将来性が云々っていったら『いやあ東大は違うなあ』なんて説法を聞く爺の如くうなずく明治君の姿がそこにありました。ああなるほど、こうやって宗教ってのは開かれるのか、こうやって令和のインチキペテン師はオンラインサロンであぶく銭を儲けているのかと感じた次第であります。

そこからは完全に俺のターン状態でした。調子に乗った私は、麻原彰晃の声真似で「では、時間なので移動しますか」とグループ面談の部屋に意気揚々と移動したのでありました。

しかし実のところ移動のさなか、私の頭に一物の不安がよぎりまして、会場の席に着いたときに面接官に自己紹介をするってなった場合、大学を言う流れになったらやばいんじゃないかと気づきまして、冷や汗がとまらなかったんですね。どうにかしてでっち上げたこの最強の雰囲気を保持しようと画策しまして、天才の私二分の一以上で勝てる作戦を瞬時に思いつきました。

「ではあなたから自己紹介をしてください」と言いたくなるような場所を命を懸けて陣取れば、私がトップバッターで自己紹介ができると考えまして、そうすれば大学名を言わずに自己紹介を済ませられる流れを作れると踏んだんですね。さすが。

 

そこで、部屋に入るなり私は秒速で面接官の目の前の席を陣取るのでした。Uの形に並べられた机の右端に陣を構えて、面接官にテレパシーと熱い視線を送っているのであります。左端に明治の私文が座ったこと以外は完璧でありました。あとは机の下で両手を握りしめて祈りを込めるしかできなかったので、キリストの祈りとイスラムの祈りと仏陀の祈りの三種類をしておきました。

 

いやあ、やはり3種類の神の加護があったら万事うまくいくんですね、無事にこの作戦はまんまと成功して、無事、私は「東京大学文学部インド哲学科」の学生として周りの学生に印象付けながらグループワークとやらをすることができたのでした。俺が言ったことに家来の如く従う様は大変愉快でありました。俺が支配して、皆がウンウンと頷くその空間は正にオウムの世界そのものでございました。就職活動における”情報の非対称性”が完成した瞬間であります。途中明治のきもいのが「さすが東大生」を何度か連呼していたような気がしたが当然黙殺致したのでした。

麻原の声で進めるのが終盤きつくなって、完全に地声で話したアクシデントもあった記憶がありますが何とか終えることができました。私は有頂天でした。

 

結果から言うと、俺は祈られた。祈られた祈られた祈られた祈られたinorareta。面接官への自己紹介の際に露骨にゴマをすっていた明治君や、まんこパワー全開で面接官に熱い視線を送っていた顔面偏差値5Ⅰの女(情けないことに、このレベルの女が一番”やれそう”と思ってしまうのが男の悲しい性である)が通ったのかは定かではないが、「麻原彰晃の声を出すと落ちる」というデータが手に入ったのは私にとっては大きな収穫であった。

 

さて、本題に戻ろうとする。帰り道、中学だか高校の国語の教科書に菊池寛の「形」という短編小説が掲載されていたのを俺はふと思いだした。確か、戦国の世に名を馳せていた主人公の鎧を後輩だか下っ端に貸して戦に行かせたら、その鎧を観ただけで敵は畏怖し、そいつは戦果を挙げることができた。一方、当の本人は普通の鎧を着てたらいつもより敵が気合十分で攻めてきて、挙句彼は討たれた、という話だった気がする。要は、人間という生き物は、てめえの経歴や第一印象、根も葉もない噂話で力量の大半を見定める癖がある、というものだろう。

どうだろうか。今回の俺のケースはまさにその”形”そのものである気がしてならない。「東京大学文学部インド哲学科」という偽の看板を引っ提げた23歳のパンピーを、あろうことか明治大学早稲田大学ともあろうエリートはまんまと引っかかり、終始自分の能力を発揮できなかったのである。俺は御覧の通り同世代と二年も離れても尚、留年の危機に立たされている頭脳、容姿、育ちのステータスが並以下の人間である。しかし、彼らの目には東京大学という、ある種同世代の頂点に君臨している人間に映ったことだろう。

 

これが人間の本質である。言ってしまえば、誰もまともな評価なんてできないし、自分でさえも、真の意味で己を評価することもできないのだ。だから、人間は経歴を大事にするのだろう。経歴が人間を形成し、当の人間はやはり経歴のみを観るのである。

 

今日、経歴社会へのアンチテーゼを掲げる胡散臭い連中が、「人間力」とか「経験」といった、漠然としたワードで人を図る風潮を流行らせているが、それなら西成のおっちゃんや飛田の風俗嬢でも雇えばその”人間力”とやらは満たせそうな気がしてならない。

 

凸版印刷」という自己啓発セミナーには甚だ脱帽した。

 

(完)

パンと見世物

オリンピックまで150日を切った。あとほんの数ヶ月もすれば、ここ東京は外国人でごった返して、狂喜乱舞のお祭り騒ぎになるだろう。

オリンピックが終わったら次にパラリンピックというものが開かれる。元々、第二次世界大戦で負傷した兵士のリハビリを兼ねたこの大会の人気は、オリンピックに比べてやや下火である。義足で走る人間よりも五体満足の人間が走る方が見応えがあるのは事実だろうし、またそもそも「障害者」と一括りにしても、足が不自由だったり、目が見えなかったりと、その内容は様々である。その時点で、パラリンピックというのはある種の"ガチャ"要素を持っている側面から、活躍の場が限られる点も下火の一因かもしれない。

 

さて、話が変わるが、俺の過ごした某知的障害者養成学校には体育祭と呼ばれる行事がある。駒沢競技場で年に一度頭のおかしい性犯罪者予備軍が一斉に己の肉体の限界を試すのである。今回は、そこで起こったクソみたいなイベントをそのまま書き連ねる次第である。また、毎度のことではあるが、年々俺の頭は統合失調症か将又記憶喪失か知らないが、記憶の正確さというのは保証出来ない。あくまでも「俺の記憶の限り」である事を忘れないでほしい。

 

「体育祭」と聞いて、諸君が想像するものはなんだろうか。

"青春"だろうか、熱気溢れる応援団だろうか、それとも女とイチャイチャする事だろうか、、、

残念ながら、我々にとっての「体育祭」とは『壁を登る』事である。詳しく解説すると、競技場から観客席までショートカットできる2メートルほどの壁をよじ登る、というものである。それは正しく、現代のオリンピックそのものであった。己が身1つで巨大な壁をよじ登るその姿は歴戦のツワモノを彷彿とさせた。ある者は砦をよじ登る戦士であり、ある者はベルリンに設けられた残酷な壁を越える名も知れぬ1人の勇敢な民にも見えた。それ程なまでに、壁登りは過熱した。壁登りができない者は技量不足の烙印を押され、壁を登れる者には名誉の勲章が与えられた。また、教師の中には壁登りを規制しようとする者まで現れたが、あまりの数の多さと、その低すぎる危険性に取り締まることを放棄した。本来の競技参加者は、競技が終わると観客席に壁を登って帰還し、暫しの休憩を取るとまた壁を飛び降りて競技に向かった。

 

次に生徒たちが熱狂するのが、賭博である。徒競走騎馬戦棒倒し、各々の種目でどこのクラスが勝つのか、どこの学年が勝つのか、それぞれに賭博が行われた。金を賭けると、当然応援に熱が入る。その様たるや、何処ぞの昭和じみた体制で知られる大学の応援団の声量を遥かに上回った。目は血走り、敗者には容赦の無い罵声が浴びせられた。

 

ある鹿児島の学校では、応援団こそ体育祭の華型と言われているそうだ。応援の練習に月日を費やし、競技が終わると皆感動の涙を流すそうである。対して、我々の中で競技が終わって泣いている者がいたとすれば、それは金を失いスカンピンになったが故の涙である。私個人の見解を述べれば、規律の取れた演舞よりも、金を賭けた人間の底力の方が遥かに競技者にとって力を与えるのでは無いかと思う時がある。しかしその力とは、負けて損をさせた時の逆ギレの怖さ故の力であることを我々は忘れてはいけない。恐怖は演舞を凌駕するのだ。

 

また、壁の登れない者たちも英雄になれる1つの方法があった。100メートル走である。

暗黙の了解として、100メートル走の最終レースは各クラスを代表するデブを繰り出すのが恒例であった。それは正しく現代の見せ物小屋である。

かつて古代ローマで見世物として扱われた剣奴が武勇を得た事で英雄になった様に、彼らの中にも見せ物から英雄へと昇格した者が現れた。アメリカ帰りの帰国子女であるTは、Americanizeされたその巨体を活かして名を馳せた。また、小学生時代に「横浜の横綱」として幾度となく駅員に子供料金を使っては止められたYは学年を問わず名物となった。十代にして脂肪肝にまで進展した現在死亡説が唱えられているKもまた、「英雄」の名を獲得した者であった。鳥人間コンテストに出場しようと東北大学に進学するも、体重の問題で入部を断られたNに至っては、そのクラスで他を寄せ付けない存在感を放っていた。

彼らは、スタート時点に立った時点で場を沸かせるカリスマ性があった。その時ばかりは壁登り及び賭博は中断され、皆がその勇姿を焼きつけんとばかりに競技場に集結し、白眉の大一番を待ち望んでいた。YとTが同じクラスになった時には、壮絶な頂上決戦が行われ、横綱が見事勝利を収めたとの逸話さえあった。この場に立つと言うことは、努力だけでは到底到達し得ない、ある種の運さえも手繰り寄せる必要さえあったのである。

静寂を打ち砕くピストルの音が鳴り響くと、一斉にデブ達は走り出す。その様はまさに「滑稽」の一言であった。コーナーでKが転ぶと会場は爆笑の渦が沸き起こり、トップのYが最後の数十メートルで息切れする姿には皆が狂喜乱舞した。一位も最下位も、共に拍手喝采であり、それは正にグーベルタンの言い放った「参加することに意味がある」という文言そのものであった。その意味では、我々の体育祭はオリンピックと称しても良いだろうと、ある生徒が声高らかに叫んでいると、藤田という教師がお前らはパラリンパッカーだろうとイチャモンをつけたのが妙に印象的だったのを記憶している。我々は障害者である事を通告された瞬間であった。何処に支障があるのか一度問うた事がある。それは頭だと言われて妙に納得する自分がいた。

 

冒頭で話した通り、あと数ヶ月もすればそのパラリンピックとやらが始まる。その大会は我々の"パラリンピック"よりも公正で、気高い代物であると願わんばかりである。

人間の証

朝7時ぐらいに飯を食った日の午前11時過ぎくらいの腹の調子に今なっている。

 

体内の血糖値が極限まで下がり、胃が胃液で満たされる。そして口がものすんごい臭くなる(俺はこの状態を「空腹うんこスメル」と呼んでいる。)。俺は昔からこの時間が嫌いだった。なにか食いたい。てか下腹についているその蓄えは今消化せずしていつ消化すんねん、兎にも角にも考えることは飯、めし、meshi。そんな状態で大正義千代田区御茶ノ水の街を歩いていると、悪魔の4文字が目に映る。

 

「大盛無料」

 

0.000000015秒の思考の後、身体がその方向に向かう。俺が入ったのは家系と呼ばれるラーメン屋だ。糞の臭いのスープと生ゴムの麺とコレステロールの詰まった油、そしてなにより「大盛無料」の文字はプロレタリアートな私を惹き付けるには十分すぎる素材と言えるだろう。

 

「大盛で。」

 

脳死で一連の動作の後店員に告げると、コップに注がれた水を一気に飲み干す。油を胃に入れる前の儀式だ。

 

しかし、ここで私は禁断の果実を目にする。

 

「ライスはセルスサービスとなっております。ご自由にお取りくだs」

 

そこに書かれた文字の全てを読むことなく、身体が勝手に炊飯器へと進む。その目は宛ら薬を求めるシャブ中のそれに近く、”白いなにか”を懸命に詰める様はガイキチに映った事だろう。

         

米。

 

それは言うまでもなく我々日本人、Jap、チョッパリの主食である。遺伝子レベルに刻まれた「米=うまい」という方程式は、飢餓状態の哺乳類の食欲を刺激する。

孤独のグルメを見ても「何わかった顔して通ぶってんだこのおっさん野郎が」と思った私でさえも、遺伝子レベルに刻まれた味覚には勝てない。かなうはずもない。

 

う  め  え  な  お  い

 

貪る。その姿はまるで動物。

かつて文明が発達してから、我々人間は自身を動物とは異なった存在と位置づけ、自らを支配者とした。それはある種の傲り、傲慢である。グリコーゲンの無くなった状態で餌と対面した-ヒト-の姿は言うまでもなく「動物」そのものであった。「動物」と『人間』、餌を前にしたらそこには明確な差などなかったのである。

 

「お待たせしました、ラーメン大盛りでございます」

 

程なくして、数十分前に私が注文したラーメンが届く。時すでに三杯目の米を買い終えた後であった。

 

この瞬間勘の鋭い読者諸君は私が最期どのような末路を辿ったか悟った事だろう。ここではその時の描写を綴る機はない。

が、結論だけ述べると私は米を三杯平らげた後に何とか魂〇屋の大盛りを平らげた。また敢えてその感想を述べると、途中からクッッッッッッッッッソ不味くなったとだけ述べておきたい。腹が満たされた状態で食う家系というのは、糞とゴムを食わされているのと同義であると私は切に思う。理不尽な飯を食わされるといえば、諸君らはよく黄色い暖簾の豚の餌を想像するであろう。いやそれは違う。豚の餌は空腹の状態で胃に物をブチ込む。対して、この米→家系は「腹を多少満たさせてからうんこを食わされる」のである。それはまっっっっったく異次元の戦いと言わざるを得ない。

 

さて、私は先程「メシを前にしたら人間は動物と同じ」と述べた。しかし、食った後の私は果たして動物的であっただろうか。その答えはNOである。動物は、メシを食って満たされたらメシを食うのを止める。当然、不味い飯には食う気すら起こさない。一方、私は腹が満たされているにも関わらず、無理やり、必死に、馬鹿みたいに、クソみたいなラーメンを、食った。果たして、この行為が動物的かと聞かれて首を縦に振る奴がいたらそれは文教大学レベルの知能である。

一方で、これが人間的かと問われたらそれは紛れもなくYESであろう。

「ラーメンが来る前に甲斐性も無く米を食ったら腹が一杯になったが、食い意地を張ってクソマズラーメンを食った」という話は、どこかの童話の登場人物に出てきそうな自己中心的な愚者そのものである。にんげんはメシを食って初めて"人間"になれるのである。

どうか、この私の愚行ともいえる反省文を読んだ諸君は、食い意地を張らずに自分の食える量だけを食って欲しいと腹の底から思う次第である。

 

俺は西洋の思想家っつぅのはさぞ大食いだったんだと思うよ。

 

(完)