Werther_is_kyokon’s blog

R18となっております

中二の頃拷問を受けていた話

幾分か昔の話なので記憶は定かではないし、更に言うとただでさえ脳みそが弱い私の言うことなので凡そ信憑性は保証出来たものでは無い。また1部脚色があったり、極論を言うと宇宙人によって記憶を改竄されている可能性すらありうる。予め断っておきたい。

 

知っている方は殆ど居ないと思うが、俺の通っていた某特別支援学校ことウンコブリブリ学園(俺の中ではこう読んでいる)は、まぁそれはそれは理不尽を極めたような学校で、敢えて今回触れるつもりはございませんが、色々な理不尽を経験したものでございます。もうホント、あそこで一通りの理不尽を経験したらこの先大抵の理不尽耐えれますわって感じの理不尽でありました、特に中学の頃が酷かったですね、多少の遅延は認めて貰えませんでしたから。

 

「電車の遅延ぐらいわかるだろ、

 

お前が悪い」

 

そう言って巨漢の小島鉄平先生は中一のガキを泣くまで殴っておりました。あー怖い。

 

この生活を一年続けたら、もうよく分かんないですけど人間として強いものが宿るんですね、中二になった頃には反抗期と重なってもれなくキモの据わったクソガキが爆誕する訳です。しかし教員もバカではありません。中二の夏休みに臨海学校という名のガチ拷問を行って更なる矯正を施さんとするのであります。これが今回のオハナシ。

 

戸田湾を隊列を組んで往復。ゴーグルは無し。

 

キチガイという他ない。なぜゴーグルをつけないのか疑問に感じる人もいるだろう。「顔を上げて泳ぐのでゴーグルは必要ない」というのがその答えだ。中々の理不尽ではなかろうか。1日目は炎天下の下、海パン一丁になって延々と軍隊みたいな練習を何度も何度もさせられる。4人1組になって、先頭の人間が「A級〇〇班!!!!四名異常なし!!!!」を声が枯れるまでやらせられる。どう考えてもブラック企業の朝礼を超えた理不尽だ。そういえば保護者会で、「日焼け止めを塗らないと火傷して水膨れができます」といっていたが日焼け止めを塗っても余裕で全身がもろ日焼けを超えて火傷した。太陽は理不尽だ。1日の締めに海水に入って少し泳がされたが海水が滲みてマジで死ぬかと思った。悪意さえ感じた。傍にいた筋骨隆々のボートに乗った野郎が列を乱すなと延々に怒鳴っていたのが印象的だった。

 

次の日、戸田は夜から翌朝にかけて豪雨が襲った。ホテルの地下は浸水し、練習は中止だろうと誰もが確信した。しかしその程度ではこの特別支援学校はへこたれない。なんと大雨洪水警報が出ている中、予行演習と言う名の特攻命令が下された。命をかける瞬間である。船に乗って対岸まで輸送される我々は最早「生きて帰る」事しか頭になく一部の人間を除いて皆顔が死んでいた。

 

ここで一つ君たちの疑問に答えよう。泳げない人間はどうするのか。簡単だ。泳げるようになればいいのだ。あらかじめ水泳の授業で泳力に応じてA、B、C、Dに分けられ、AとBだけが遠泳に参加できる仕組みだ。(因みに俺は以前にも当ブログで紹介した通り、水泳教室でオナニーに励んでいたのでAだった。)一見、カナズチにも配慮しているように思えるだろう。だがそれは本質ではない。直前の授業で、Cの人間は大体が謎の昇格を遂げる。一気に二段階昇進を遂げる者すらいた。何故か昇格の条件が緩くなり、240人中恐らく200人以上は特攻を命じられていただろう。因みに、一応任意参加と銘打ってあるのだが、参加表明しないと容赦なく深夜の個別訪問がある他、集団心理によって参加せざるを得なくする仕組みまで完備していた。完璧だ。要は、ガチな運動音痴を除いて、ほぼ全員殺す気なのである。

 

さて舞台は大雨が降る戸田湾である。もう全員が全員「生きて帰る」事だけを望んでいた。戦後65年の当時、果たして誰が“生還”だけを本気で願っただろうか。いつもの様に、大声で異常なしを叫ぶと、我々は特攻を命じられた。念のため、というか、マジで当たり前なのだが各班に傍2人、昨日の筋骨隆々の野郎が申し訳程度に配備されていた。

 

そこから先は本能のまま泳いだ。素晴らしいことに俺たちが泳いでる最中、雨足はあり得ないくらい酷くなった。前が見えない。当然、列が乱れる。しかし、昨日散々やれ列を乱すな列を乱すなと怒鳴っていた野郎はどうしているかと言うと、ボートにしがみつくのに必死になっていた。本来我々を助けるはずの人間が、自分の事に必死で我々に一切目をかける事なくボートにしがみついていた。あの光景は間違いなく後の我々の人格に影響を与えた瞬間といっても過言ではないと断言できる。兎に角、「まあそんなもんだよな」の一言であった。そこからは正直覚えていない。目を瞑って(しかしどこからか「前を見ろ」との怒号が聞こえていた事だけは覚えている」)”平泳ぎ的な何か“をし続けた。がむしゃらという言葉が最も適切だっただろう。不思議なもので、人間その域まで踏み込んでしまったら全てのことを難なく受け入れることができるようになる訳で、対岸までたどり着いた時に何故か隊列がUターンをし始めても何も感じなかった。地獄の復路の始まりだった。

 

復路の後半になると、雨足が収まって来て、さっきまで大人しかった野郎も安全なボートの上から怒鳴り始めた。もう誰も聞いていない。人間の本質を垣間見た。本能のまま俺らは泳いだ。

 

そして、俺らは帰還した。さて、上陸したらまずすることはなんだろうか。本来なら、隊列を組んであの「異常なし」を声高らかに叫ぶところだ。しかし、一部の正義感溢れるバカは雨に打たれ真夏に震えながら固まっていたが、殆どの者は帰りの船に飛び乗っていた。この時、これこそが世の中、これこそが人生哲学、これこそが縮図だと私は確信した。その道中、藤田陽一という教師が、ビニールシートをかたずけろと怒鳴っていたが誰一人として戻ってくる者はいなかったのが物凄く滑稽だった。また一つ、俺らは強くなった。理不尽は理不尽で応えるという一つの解、術を覚えたのだ。

 

帰りの船で、ある友人がこう言っていた。「今すぐに帰れる代わりに怒られて済むなら、俺は悦んで怒られるわ」

その言葉が妙に印象的だった。

 

最終日、遠泳は中止となった。帰りのバスで、太鼓持ちのユウスケ君が「どうせならやりたかったな〜」と教師に聞こえる声でボヤいていた。それも一つの”生きる道“だろう。寄らば大樹の陰、強い奴に取り入る事も大切なのは事実だ。だが俺はこいつとは絶対に仲良くなれないと確信した。

 

聞いた話によると、翌年から遠泳はなくなったらしい。保護者から強烈なバッシングにあったそうだ。当然の結果だろう。兎にも角にも、一つだけ言えるのは、あれ以降、何かに縋ったり、何かを信じるというのは俺から無くなったのは事実だ。やや格好をつけた書き方で非常に恐縮だが、今回はこれで終いとする。

 

そもそも、なんでこんな昔の話をしようと思ったのか、それは今年の夏に遡る。内定を貰った同期が、昔の話をツマミに思い出を話していた。或る者がこう言った「中一のオリエンテーション(次書くとしたらこれ)も、中二の遠泳も、中三のスキーも、楽しかったな」

 

あの時の拷問じみた整列も、本気で死を覚悟した予行演習も、”学生生活の1イベント“という括りに入ってしまえば、それは思い出として美化されてしまうのだ。所詮、「そんなもの」だ。

 

(完)