Werther_is_kyokon’s blog

R18となっております

芥川龍之介を超える「地獄変」を経験したのでここに記す。

院試に受かってました。まあ大した大学でもないし、内部進学だったので偉そうなことは言えませんが、このご時世“望まない院試”を余儀なくされる人もいましょうから、もしかしたら私のこのしょうもない体験談が誰かの役に立って、そいつがのちにノーベル賞を受賞して記者会見で「Werther_is_kyokonさんのブログがきっかけで受賞できました」と言って私が一躍“時の人”になれる可能性に賭けて今回筆をとる次第であります。

 

ここでは私がなぜ院進しようと思ったとか、専門はなんですとか、どういう研究をしようと思ってますとか、勉強は何をしました等、その手の何も需要のない話は書く気が無い事を予めご了承願いたいし、その類を所望の方は「東京大学 院試 合格」とか調べて下されば無限に出てくるのでそちらをご覧になる事を推奨したい。今回は「一年間で46単位を取る目標を立てた結果就活をやらかして大学4年の2月に進路が決まらなくても、その後精神を保って合格に至った経緯」について思い出す次第である。

 

まず初めに言いたいのは、このような誰がどう考えても自殺行為に思えるスケジュールを組むことは本気でお勧めしない。実際に、私はこの数ヶ月で生きるか死ぬかを本気で彷徨ったし、見た目がとてつもなく老けた。人生の帰路に佇んだ時、人間はここまでストレスを抱えるのかというくらい精神的に病む。なので基本的に院進を考えている人は早めに試験を受ける事を勧める。二次募集の「募集人数:若干名」にビビることなく学問に打ち込む方が遥かに精神的に楽と言えるだろう。しかし、このブログを読む読者諸君の中には、若さ故の怖い物見たさで、就職活動に精を出すことなく「まあ適当に失敗したら院試でも受けっかw」という数ヶ月前の私の様な状況の物がいるだろう。

 

よかろう。その者のみこの先の私の地獄編を読む事を許可する。

 

まず、己の精神状況を客観的に分析することから二次募集の院試戦争は始まる。具体的に、90年代のMr.Childrenを適当に5曲聴いて頂きたい。心にブッ刺さる曲が4曲以上ある場合はかなりラリっているといえよう。2〜3曲刺さる人は、「当時の桜井和寿は君らと同い年でこの曲を作っていた」という事実を踏まえて刺さった曲を聞いてみるといい。聴き終わった頃には大きな自己嫌悪に陥っている筈である。まずこの精神状態を受け入れて、そして克服するところから勝負は始まる。刺さらないそこの君は危機感が足りない。

そもそも、試験とは精神状態がモノを言う。君たちの中にも、いい年して「模試は出来たけど受験本番で、、、」と宣って大学受験の失敗談について武勇伝の如く語る“”甘ったれた“”人間がいることだろう。お話にならない。昔の失敗談から何も学んでいない。その精神力の弱さを克服しなければこの先の人生でそいつは永遠に同じ過ちを繰り返す事を私はここに保証する。受験、就活、出世、人生とは勝負事の連続である。どこぞの元国家主席語録に、「何かを勝ち取るには、まずこの世界について知る必要がある」という言葉がある。人生の大事な岐路には勝負事が絡んでいることが明白なのは20年以上生きている人間なら誰でも知っている。実力が拮抗している者が同じ土俵に立った時、明暗を分けるのはひとえに肝っ玉の強さである。ぶっつけ本番で力を出せる人間と出せない人間、これは実力云々以前に、人間としての優劣を如実に映し出している。それでは、人間力の要と言える精神力を養うにはどうすれば良いのか、それは第一に己を知り、弱さを克服することである。その方法として私は“ミスチル判定”を用いた迄である。

他にも二郎の大を死ぬ気で食う、水風呂に20分以上浸かる、といった荒療治があるが基本的にその後の健康に支障をきたすのでお勧めはしない。桜井は聞く者の魂だけを傷つける。心のリストカットを毎日行い、自己嫌悪を乗り越えた先に、謎の境地に辿り着く。それを人は万能感と呼ぶ。万能の境地に行く事をまず目指す、これが最も肝要と言える。

 

桜井を知り、己を知った諸君は、この時点で他の受験生の一歩先にいる。今やGRAY程度では刺さらなくなっているので、勉強のBGMに聞いてみるといい。自身の人間力の伸びっぷりに感動することだろう。桑田、浜崎、そして稲葉”先輩“は最早鼻で笑うレベルである。こうなったら第二段階に入る。

 

第二段階は、“自分より優秀な人間を受けさせない”工作をすることである。同じ大学学部に、「就活失敗したら院進かなア」と言ってるそこそこ優秀な人間がいたら、そいつの動向を逐一監視する必要がある。大抵優秀なので内定をもらっているケースが殆どなのだが、ごく稀に院進を本格的に考えてきやがる奴がいる。それは非常に困る。ただでさえ10人、20人しか受からない試験の貴重な一枠が奪われようとしているのだから、それは是が非でも阻止したいところだ。私の場合、2人受けようとしていた人間がいたので「院に行くと胃潰瘍になって吐血する」「院にはブ男しかいない(女は結局イケメンに惹かれる)から行っても地獄」「恵まれない東京の子ども(23歳独身)のために受けるな」「どうせ試験を受けるなら公務員試験を受けなさい」などの文言を隙アラバ言った。その結果、なんと全員の院進の回避と戦略的留年をさせる事に成功した。古代中国の戦術家に、「三十六計逃げるに如かず」という言葉がある。負ける戦いをするなら、そいつらと戦わない策を考えた方が遥かに良いだろう。二次募集とは命をかけた争いである。

 

ここまで来れば、君たちは他の受験生の遥か先を歩んでいる事だろう。顔つきは修羅の顔になり、勝つ自分だけをイメージしている。誰の目にも“何かをやっている人”に映るだろうし、道を歩けば国家権力から声を掛けられる頻度も増える。没关系。それは君たちが人間的に強くなった故の出来事である。桜田門の紋章がビビっている程度に流せば良い。

 

試験本番、これが最後の段階である。会場にいる人間は、全員進路が未定の人間である。それ故に顔が引き攣っていたり、緊張でガチガチになっている人間も少なくない。そんな中、私は何をしていたかというと、会場が開く迄の間、うんこ座りをしてMr.Childrenを聴きながら中本を2つ食っていた。腹が減っては戦はできない。腹に何か入っていたら人間強気になれる。二郎から出てくるオタクが無性に勝ち誇った顔をしているのは、腹が満たされて上機嫌になっているからである。デカい音でゲップしたら変な目で見られるが桜井が「残さずに全部食べてやる」と耳元で叫んでいるので無事完飲した。名もなき浮浪者がここに爆誕していた。皆スーツを着ていたが俺は私服だったのを覚えている。

どう考えても舐めている。いや、舐めるぐらいが丁度いいのだ。何事も舐めてかかるな、舐めてかかると足元を掬われる、とよく私は祖母に言われた。だったら掬われなくすればいいだけの話である。掬われない程度に舐めることーこれが私の編み出した気の持ちようであった。元来、私は気が弱かった。小さい頃は本番になると緊張で手が震えた。さらば、万全の精神、万全の肉体で臨むべきだとある日私は思った。あの日の気弱な少年は、傍若無人な世間知らずへと昇華した。

時に、私は「虚勢の重要性」について考えることがある。他人に対して、己の強さを本質以上に見せつけることで優位に立つ事を狙うという行為、世間はこれを極端に軽視している。他人からの評価は、そいつの目に映ったモノでのみ判断される。試験とは満点をとる事が本質でない。一般的に、点数で他人より優位に立つ事が試験に勝つ事を意味する。先述したように、ぶっつけ本番で実力が拮抗している者同士が戦った場合、精神面が明暗を分けると私は考えている。そういう宗教に入っている。精神面で勝るには、①自分の精神を強くする②相手の精神を下げる の2択が考えられる。後者は虚勢が意外と効く。良くも悪くも、人は自分が見たものを最も信頼する。勝手に解釈をして、ありもしない偶像を作り出し、その偶像に苦しむ。これはヒトの本能である。誰かに教わるまでもなく、ヒトはこの術を身につける。

 

恥ずかしい話だが、私は生まれつき脳味噌の作りが凡人の半分程度であった。特に、勉強に関しては苦労した記憶がある。故に多くの失敗もした。阿呆な人間性も相まって、ここには書けない経験もした。そこで、私はこの数多の失敗から学んだ精神力、そして他人以上に無駄に踏んだ場数、これこそが私の武器になりうる事を悟った。これからの私の人生も、この精神、この信条のまま生きることは間違いないと確信した。「失敗」、人はこの言葉を過度に恐れる。恐れるあまり、失敗だけを回避することに躍起になる。本質は、「勝利する」ことであって「失敗の回避」ではないと切に思う。失敗を恐れ、無難を求める者、これを人は凡庸と呼ぶ。失敗を回避する事に躍起になり、なにかに取り憑かれたかの如く平凡に成り下がった人間を私は知っている。それは果たして成功と呼べるのだろうか。

 

振り返ってみると、紛れもなくこの数ヶ月は地獄であった。恐らく、他の受験生も同様に焦りや緊張、ストレスを抱えていた事だろう。私はこの状況を前にして、人より少しだけ多くある、経験や精神力という漠然とした代物を携えて臨んだ。そこに私は一握の望みをかけた。当然、成功の保証はどこにもなかった。落ちていたら恐らく死んでいた。本気で自殺していた。結果論に他ならないが、今までの人生、私という人間性、桜井の言葉を借りれば「Mr.myself」に謝辞を送りたい。

上から目線でやや説教臭い文章になったことに関して、ここに最大限のお詫びを添付して締める。

 

ps 今ラインに何か送っても返信できないので連絡ある人はDMかメールにお願いします。

 

(完)

 

国語の教科書にあった「形」の現代版をやってみたのでここに垂れ流すとする。

2015年に高校を卒業した頃は、浪人が決まった鬱屈さに加えて、「5年もしたら社会人になってるんやろな」などと遠い未来に思いを馳せたもので、また翌年大学に進学して地球の裏側でやってるオリンピックを眺めているときは、「次の五輪がやる頃には社会人になってんのか」なんて思っておりましたが、いざその時になってみますと、相も変わらず私は学生というご身分をやっている有様で、未来を思うってのは単なる絵空事でしかないんだなと思う次第であります。

でもしかしまあ、そんな私も少しずつではありますけれども社会に向けてまるでベルトコンベアのごとく運ばれているってのも事実でして、今この2020年5月には一丁前に就活ってのをやらされている訳なんですわ。はるか遠い昔、俺がまだ大学二年生のちんちんだして暴れてた頃だったかに、図太さに定評のあった高校の友人が就活関連でTwitterで病みまくってるのをみて、二年後の自分と重ねたりもしていました(幸いなことに二年後お前は相変わらず二郎食って健康な精神で3年生やってるよと今の俺から言いたい)が、いざ就活っていう土俵に立たされると、一年後なのに全く先行きの見えない、そんな近くて不鮮明な将来を考えただけで気が狂いそうになるのも大いに納得できます。

そんな状況に立たされたら、人間まともなことをしなくなる訳でして、昨年最終面接で「私の尊敬する人物はスティーブ・ジョブズです」と言ってリンゴをつぶして内定を掴み取った(後日その内定を握りつぶしてやったと声高々と話していた)友人や女子大の事務職に応募した京大生など、誰しも今考えるとトチ狂ってた話の一つや二つありましょう。当の私も実は昨年の某社の面接で一発カマしていたのをふと思い出したので、ここに懺悔させていただく次第である。

 

2019年秋、確か世の中は国民的ショタ好きのジャニー喜多川が死んだとかその手の話でもちきりだったと思う。メディアは喜多川を礼賛し、人々はそこそこの好景気に浮足立っていた。

 当の私はというと、クソみたいなエピソードとどうしようもない資格を引っ提げて、とりあえず知ってる企業に応募して「就活」をした気になっておりました。今考えると「あほ」以外の何物でもない。

幸いにも、エントリーシートでバッサリ切られる大学ではなかったので何個かは通ったんですね、そんで次は面接をしましょうとの案件が送られてきまして、さあどうするかって なりましてね、いろいろ考えました。でもね、結局使えそうな作戦ってのはパッと思いつかないのが人間なんですね、最終的に「場当たり」で何とかしようとの結論に至りました。(話すのは凡人より幾分かマシだろうとの思惑により)

そんでもって当日になって会場につくと、絵にかいたような健常者という健常者が胡散臭い笑顔浮かべて偽善者面してるんですわ、経験した人ならわかると思うんですけど、あの顔は本当に人間の何か根底にある”悪い部分”を体現しているようにしか見えないんです、本当に。入って早々にニタアアアって笑ってくる明治大学商学部の野郎の顔が忘れられない。席に着くと、A4大くらいの紙で「自己紹介を済ませてください」と書かれたものがおいてあるんですね。私はこういう時は必ず””他人の出方を伺ってどうふるまうか決める””類の人間だったので、まずはこいつらがどこの馬の骨か見てやろうと斜めに構えたものでありました。(アスペ)

やはり開始早々に動いたのは明治大学商学部の”奴”でした。「えっと、明治大学商学部の(ワントーン高い)○○です。今私はサークルの代表をやってまして~」と、一丁前にかましてやったぞ的な顔でほざいてんですわ、周りの雌も「頭いい~」なんてほざいてるもんだからその顔がますますにたあああああああって気持ち悪くなってる。マジで。こういうやつが銀座で女口説いてる。下半身木村敏敏敏にして酒イキリをしてる。すかさず「お前さ、凸〇印刷とかいうのがそんなにええんか?お前はいったい何がしたいんだ?」などとリクルート魂を受け継ぐ私(二次選考落ち)がテレパシーを送るわけであります。次の眼鏡の男はなかなかの曲者でしてね、おそらく俺と同じことを考えていたのでしょう。「早稲田大学文化構想学部の△△です、よろしくお願いします」の一言で終わらせたんですね、顔が終始しかめっ面で明治君に露骨に腹を立ててる印象でした。そのあとの女二人はどっかの私大で、まがいなりにもそこそこの国公立大学裏口入学とはいえ在籍している私としましてはそのまま”チキチキ学歴バトル”をしてもよかったのですが、知り合いが一人もいない環境下だったので一発かましてみることのしました。

 

東京大学文学部インド哲学科出身のKです。よろしくお願いします」

 

もうね、一瞬で場が凍り付きました。私はこの時初めて偏差値教育の真の恐ろしさというものを垣間見た気が致します。明治君は真顔に、早稲田君はよくやったといわんばかりの顔に、ほかの雌は若干引いておりました。人間23年、はったりだけで生きてきた私はさらに追撃をかける次第であります。

 

「僕は明治君とは違ってサークルには入ってないんですよね」

 

完璧なまでの”狙い撃ち”であります。私の出身地の京都府には「京ことば」という遠回しに人間をディスるとても便利な言葉がありまして、この場合、「お前はうるせえから黙ってろ」が直訳としては正しかったと思います。果たして、東京駿河台の”とうきょうもん”には効果はあるのか観察してみたところ、なんと””覿面””でありました。急に口数が減って、私を現人神か何かのような顔で見て「どうしてこの業界に興味がわいたんですか?」なんて聞いてくる有様であります。適当に将来性が云々っていったら『いやあ東大は違うなあ』なんて説法を聞く爺の如くうなずく明治君の姿がそこにありました。ああなるほど、こうやって宗教ってのは開かれるのか、こうやって令和のインチキペテン師はオンラインサロンであぶく銭を儲けているのかと感じた次第であります。

そこからは完全に俺のターン状態でした。調子に乗った私は、麻原彰晃の声真似で「では、時間なので移動しますか」とグループ面談の部屋に意気揚々と移動したのでありました。

しかし実のところ移動のさなか、私の頭に一物の不安がよぎりまして、会場の席に着いたときに面接官に自己紹介をするってなった場合、大学を言う流れになったらやばいんじゃないかと気づきまして、冷や汗がとまらなかったんですね。どうにかしてでっち上げたこの最強の雰囲気を保持しようと画策しまして、天才の私二分の一以上で勝てる作戦を瞬時に思いつきました。

「ではあなたから自己紹介をしてください」と言いたくなるような場所を命を懸けて陣取れば、私がトップバッターで自己紹介ができると考えまして、そうすれば大学名を言わずに自己紹介を済ませられる流れを作れると踏んだんですね。さすが。

 

そこで、部屋に入るなり私は秒速で面接官の目の前の席を陣取るのでした。Uの形に並べられた机の右端に陣を構えて、面接官にテレパシーと熱い視線を送っているのであります。左端に明治の私文が座ったこと以外は完璧でありました。あとは机の下で両手を握りしめて祈りを込めるしかできなかったので、キリストの祈りとイスラムの祈りと仏陀の祈りの三種類をしておきました。

 

いやあ、やはり3種類の神の加護があったら万事うまくいくんですね、無事にこの作戦はまんまと成功して、無事、私は「東京大学文学部インド哲学科」の学生として周りの学生に印象付けながらグループワークとやらをすることができたのでした。俺が言ったことに家来の如く従う様は大変愉快でありました。俺が支配して、皆がウンウンと頷くその空間は正にオウムの世界そのものでございました。就職活動における”情報の非対称性”が完成した瞬間であります。途中明治のきもいのが「さすが東大生」を何度か連呼していたような気がしたが当然黙殺致したのでした。

麻原の声で進めるのが終盤きつくなって、完全に地声で話したアクシデントもあった記憶がありますが何とか終えることができました。私は有頂天でした。

 

結果から言うと、俺は祈られた。祈られた祈られた祈られた祈られたinorareta。面接官への自己紹介の際に露骨にゴマをすっていた明治君や、まんこパワー全開で面接官に熱い視線を送っていた顔面偏差値5Ⅰの女(情けないことに、このレベルの女が一番”やれそう”と思ってしまうのが男の悲しい性である)が通ったのかは定かではないが、「麻原彰晃の声を出すと落ちる」というデータが手に入ったのは私にとっては大きな収穫であった。

 

さて、本題に戻ろうとする。帰り道、中学だか高校の国語の教科書に菊池寛の「形」という短編小説が掲載されていたのを俺はふと思いだした。確か、戦国の世に名を馳せていた主人公の鎧を後輩だか下っ端に貸して戦に行かせたら、その鎧を観ただけで敵は畏怖し、そいつは戦果を挙げることができた。一方、当の本人は普通の鎧を着てたらいつもより敵が気合十分で攻めてきて、挙句彼は討たれた、という話だった気がする。要は、人間という生き物は、てめえの経歴や第一印象、根も葉もない噂話で力量の大半を見定める癖がある、というものだろう。

どうだろうか。今回の俺のケースはまさにその”形”そのものである気がしてならない。「東京大学文学部インド哲学科」という偽の看板を引っ提げた23歳のパンピーを、あろうことか明治大学早稲田大学ともあろうエリートはまんまと引っかかり、終始自分の能力を発揮できなかったのである。俺は御覧の通り同世代と二年も離れても尚、留年の危機に立たされている頭脳、容姿、育ちのステータスが並以下の人間である。しかし、彼らの目には東京大学という、ある種同世代の頂点に君臨している人間に映ったことだろう。

 

これが人間の本質である。言ってしまえば、誰もまともな評価なんてできないし、自分でさえも、真の意味で己を評価することもできないのだ。だから、人間は経歴を大事にするのだろう。経歴が人間を形成し、当の人間はやはり経歴のみを観るのである。

 

今日、経歴社会へのアンチテーゼを掲げる胡散臭い連中が、「人間力」とか「経験」といった、漠然としたワードで人を図る風潮を流行らせているが、それなら西成のおっちゃんや飛田の風俗嬢でも雇えばその”人間力”とやらは満たせそうな気がしてならない。

 

凸版印刷」という自己啓発セミナーには甚だ脱帽した。

 

(完)

パンと見世物

オリンピックまで150日を切った。あとほんの数ヶ月もすれば、ここ東京は外国人でごった返して、狂喜乱舞のお祭り騒ぎになるだろう。

オリンピックが終わったら次にパラリンピックというものが開かれる。元々、第二次世界大戦で負傷した兵士のリハビリを兼ねたこの大会の人気は、オリンピックに比べてやや下火である。義足で走る人間よりも五体満足の人間が走る方が見応えがあるのは事実だろうし、またそもそも「障害者」と一括りにしても、足が不自由だったり、目が見えなかったりと、その内容は様々である。その時点で、パラリンピックというのはある種の"ガチャ"要素を持っている側面から、活躍の場が限られる点も下火の一因かもしれない。

 

さて、話が変わるが、俺の過ごした某知的障害者養成学校には体育祭と呼ばれる行事がある。駒沢競技場で年に一度頭のおかしい性犯罪者予備軍が一斉に己の肉体の限界を試すのである。今回は、そこで起こったクソみたいなイベントをそのまま書き連ねる次第である。また、毎度のことではあるが、年々俺の頭は統合失調症か将又記憶喪失か知らないが、記憶の正確さというのは保証出来ない。あくまでも「俺の記憶の限り」である事を忘れないでほしい。

 

「体育祭」と聞いて、諸君が想像するものはなんだろうか。

"青春"だろうか、熱気溢れる応援団だろうか、それとも女とイチャイチャする事だろうか、、、

残念ながら、我々にとっての「体育祭」とは『壁を登る』事である。詳しく解説すると、競技場から観客席までショートカットできる2メートルほどの壁をよじ登る、というものである。それは正しく、現代のオリンピックそのものであった。己が身1つで巨大な壁をよじ登るその姿は歴戦のツワモノを彷彿とさせた。ある者は砦をよじ登る戦士であり、ある者はベルリンに設けられた残酷な壁を越える名も知れぬ1人の勇敢な民にも見えた。それ程なまでに、壁登りは過熱した。壁登りができない者は技量不足の烙印を押され、壁を登れる者には名誉の勲章が与えられた。また、教師の中には壁登りを規制しようとする者まで現れたが、あまりの数の多さと、その低すぎる危険性に取り締まることを放棄した。本来の競技参加者は、競技が終わると観客席に壁を登って帰還し、暫しの休憩を取るとまた壁を飛び降りて競技に向かった。

 

次に生徒たちが熱狂するのが、賭博である。徒競走騎馬戦棒倒し、各々の種目でどこのクラスが勝つのか、どこの学年が勝つのか、それぞれに賭博が行われた。金を賭けると、当然応援に熱が入る。その様たるや、何処ぞの昭和じみた体制で知られる大学の応援団の声量を遥かに上回った。目は血走り、敗者には容赦の無い罵声が浴びせられた。

 

ある鹿児島の学校では、応援団こそ体育祭の華型と言われているそうだ。応援の練習に月日を費やし、競技が終わると皆感動の涙を流すそうである。対して、我々の中で競技が終わって泣いている者がいたとすれば、それは金を失いスカンピンになったが故の涙である。私個人の見解を述べれば、規律の取れた演舞よりも、金を賭けた人間の底力の方が遥かに競技者にとって力を与えるのでは無いかと思う時がある。しかしその力とは、負けて損をさせた時の逆ギレの怖さ故の力であることを我々は忘れてはいけない。恐怖は演舞を凌駕するのだ。

 

また、壁の登れない者たちも英雄になれる1つの方法があった。100メートル走である。

暗黙の了解として、100メートル走の最終レースは各クラスを代表するデブを繰り出すのが恒例であった。それは正しく現代の見せ物小屋である。

かつて古代ローマで見世物として扱われた剣奴が武勇を得た事で英雄になった様に、彼らの中にも見せ物から英雄へと昇格した者が現れた。アメリカ帰りの帰国子女であるTは、Americanizeされたその巨体を活かして名を馳せた。また、小学生時代に「横浜の横綱」として幾度となく駅員に子供料金を使っては止められたYは学年を問わず名物となった。十代にして脂肪肝にまで進展した現在死亡説が唱えられているKもまた、「英雄」の名を獲得した者であった。鳥人間コンテストに出場しようと東北大学に進学するも、体重の問題で入部を断られたNに至っては、そのクラスで他を寄せ付けない存在感を放っていた。

彼らは、スタート時点に立った時点で場を沸かせるカリスマ性があった。その時ばかりは壁登り及び賭博は中断され、皆がその勇姿を焼きつけんとばかりに競技場に集結し、白眉の大一番を待ち望んでいた。YとTが同じクラスになった時には、壮絶な頂上決戦が行われ、横綱が見事勝利を収めたとの逸話さえあった。この場に立つと言うことは、努力だけでは到底到達し得ない、ある種の運さえも手繰り寄せる必要さえあったのである。

静寂を打ち砕くピストルの音が鳴り響くと、一斉にデブ達は走り出す。その様はまさに「滑稽」の一言であった。コーナーでKが転ぶと会場は爆笑の渦が沸き起こり、トップのYが最後の数十メートルで息切れする姿には皆が狂喜乱舞した。一位も最下位も、共に拍手喝采であり、それは正にグーベルタンの言い放った「参加することに意味がある」という文言そのものであった。その意味では、我々の体育祭はオリンピックと称しても良いだろうと、ある生徒が声高らかに叫んでいると、藤田という教師がお前らはパラリンパッカーだろうとイチャモンをつけたのが妙に印象的だったのを記憶している。我々は障害者である事を通告された瞬間であった。何処に支障があるのか一度問うた事がある。それは頭だと言われて妙に納得する自分がいた。

 

冒頭で話した通り、あと数ヶ月もすればそのパラリンピックとやらが始まる。その大会は我々の"パラリンピック"よりも公正で、気高い代物であると願わんばかりである。

人間の証

朝7時ぐらいに飯を食った日の午前11時過ぎくらいの腹の調子に今なっている。

 

体内の血糖値が極限まで下がり、胃が胃液で満たされる。そして口がものすんごい臭くなる(俺はこの状態を「空腹うんこスメル」と呼んでいる。)。俺は昔からこの時間が嫌いだった。なにか食いたい。てか下腹についているその蓄えは今消化せずしていつ消化すんねん、兎にも角にも考えることは飯、めし、meshi。そんな状態で大正義千代田区御茶ノ水の街を歩いていると、悪魔の4文字が目に映る。

 

「大盛無料」

 

0.000000015秒の思考の後、身体がその方向に向かう。俺が入ったのは家系と呼ばれるラーメン屋だ。糞の臭いのスープと生ゴムの麺とコレステロールの詰まった油、そしてなにより「大盛無料」の文字はプロレタリアートな私を惹き付けるには十分すぎる素材と言えるだろう。

 

「大盛で。」

 

脳死で一連の動作の後店員に告げると、コップに注がれた水を一気に飲み干す。油を胃に入れる前の儀式だ。

 

しかし、ここで私は禁断の果実を目にする。

 

「ライスはセルスサービスとなっております。ご自由にお取りくだs」

 

そこに書かれた文字の全てを読むことなく、身体が勝手に炊飯器へと進む。その目は宛ら薬を求めるシャブ中のそれに近く、”白いなにか”を懸命に詰める様はガイキチに映った事だろう。

         

米。

 

それは言うまでもなく我々日本人、Jap、チョッパリの主食である。遺伝子レベルに刻まれた「米=うまい」という方程式は、飢餓状態の哺乳類の食欲を刺激する。

孤独のグルメを見ても「何わかった顔して通ぶってんだこのおっさん野郎が」と思った私でさえも、遺伝子レベルに刻まれた味覚には勝てない。かなうはずもない。

 

う  め  え  な  お  い

 

貪る。その姿はまるで動物。

かつて文明が発達してから、我々人間は自身を動物とは異なった存在と位置づけ、自らを支配者とした。それはある種の傲り、傲慢である。グリコーゲンの無くなった状態で餌と対面した-ヒト-の姿は言うまでもなく「動物」そのものであった。「動物」と『人間』、餌を前にしたらそこには明確な差などなかったのである。

 

「お待たせしました、ラーメン大盛りでございます」

 

程なくして、数十分前に私が注文したラーメンが届く。時すでに三杯目の米を買い終えた後であった。

 

この瞬間勘の鋭い読者諸君は私が最期どのような末路を辿ったか悟った事だろう。ここではその時の描写を綴る機はない。

が、結論だけ述べると私は米を三杯平らげた後に何とか魂〇屋の大盛りを平らげた。また敢えてその感想を述べると、途中からクッッッッッッッッッソ不味くなったとだけ述べておきたい。腹が満たされた状態で食う家系というのは、糞とゴムを食わされているのと同義であると私は切に思う。理不尽な飯を食わされるといえば、諸君らはよく黄色い暖簾の豚の餌を想像するであろう。いやそれは違う。豚の餌は空腹の状態で胃に物をブチ込む。対して、この米→家系は「腹を多少満たさせてからうんこを食わされる」のである。それはまっっっっったく異次元の戦いと言わざるを得ない。

 

さて、私は先程「メシを前にしたら人間は動物と同じ」と述べた。しかし、食った後の私は果たして動物的であっただろうか。その答えはNOである。動物は、メシを食って満たされたらメシを食うのを止める。当然、不味い飯には食う気すら起こさない。一方、私は腹が満たされているにも関わらず、無理やり、必死に、馬鹿みたいに、クソみたいなラーメンを、食った。果たして、この行為が動物的かと聞かれて首を縦に振る奴がいたらそれは文教大学レベルの知能である。

一方で、これが人間的かと問われたらそれは紛れもなくYESであろう。

「ラーメンが来る前に甲斐性も無く米を食ったら腹が一杯になったが、食い意地を張ってクソマズラーメンを食った」という話は、どこかの童話の登場人物に出てきそうな自己中心的な愚者そのものである。にんげんはメシを食って初めて"人間"になれるのである。

どうか、この私の愚行ともいえる反省文を読んだ諸君は、食い意地を張らずに自分の食える量だけを食って欲しいと腹の底から思う次第である。

 

俺は西洋の思想家っつぅのはさぞ大食いだったんだと思うよ。

 

(完)

懐旧

8時過ぎに学校に行って、10時過ぎに申し訳程度の時間を潰して、昼に大して美味くもないし好きなもんでもない飯を食わされ、その後適当に遊んで民主党の支持母体の連中に洗脳されて帰路につく。

 

15年前の俺の1日はこの連続だった。毎日、毎日、毎日──。

 

そんな毎日が嫌で、好きなものを好きな時に食える大人が凄く羨ましくて、学校という塀の中から見える外の大人が無性に自由に思えて、俺はあの時は一刻も早く大人になりたかった。

 

三日前

俺は1つの電子媒体を目の前にしていた。

 

ポケットモンスターなんとかサファイア

 

15年前の俺が、子供だった俺が、大人に憧れてた俺が夢中になってやってた、「ポケットモンスターサファイア」のリメイク版じゃねぇか。

 

やってみた。

 

感想を言おう。

        

                        “””響いてこない”””

 

幾ら電子媒体と格闘しても、当時のまだ何も知らなかった世界へ1歩踏み入れた感覚はない。ただそこにあるのは惰性に生きた大人が生み出す虚無の世界。違う。俺は"これ"が欲しくて金を払ったんじゃない。「未知との遭遇」とでも形容すべき、嘗ての西洋の探検家たちが成しえたような、自分の知らなかった存在と会合した時のあの純粋なまでの感覚、これが欲しい。なんであの時と同じキモリを選んだのに、同じ技を覚えさせたのに、あの感覚は蘇ってこないんや、、、、、、?。

 

その刹那、俺はこの15年で失ったものを数える。

穢れも知らない無邪気な”俺”、無知故の夢を持っていた"俺"、まるで自分が世界の中心にいるような錯覚をしてたクソガキの”俺”。

 

これだ。

 

自分の中で何かを悟る。それは昔世界を動かした数多の人々、もとい英雄に共通する明確な答えなのかも知れない。

 

そこからは早かった。実家に帰るなり「んママァただいまぁ」と今年23になる無職が叫び、(この時全く動じなかった母親もどうかしてるとは思う)ガリガリ君を一瞬でたいらげ、嘗て住んでいた社宅付近まで自転車で赴いた。真夜中に1人、よく遊んだブランコに揺れた。あの時の俺が蘇る。昔通ってた小学校の前に辿り着く。そうだ、俺は抗ってたんだ。大人の理不尽さに気づきながらも、俺はそれを認めたくなかったんだ。次第に現実が遠のいて行く。目を閉じれば、そこに広がるのは当時の俺と、ともだち。

あの頃の俺は子供特有の理不尽さに耐えていたような気がした。今となってはすっかり忘れてしまった、どこかのクソガキにバカにされたこともあったような気もするし、早生まれで身体が小さかった分苦労もしたような気もした。そんな毎日の、子供だろうとある日常の混沌を、忘れさせてくれたのがあの"世界"だったのだ。

 

そうか

 

俺にとってのサファイア

 

「夢」だったんだな。

 

ここで現実に引き戻された。夢から醒めた俺は帰路に着く。途中、腹が減ったので昔家族でよく食ったラーメン屋に行く。無論好きなもんを好きなだけ食う。これが昔思い焦がれていた俺がやりたかったことだ。途中、何故か酒が飲みたくなった。無論普段俺は酒なんぞ飲まない。寧ろ、酒を浴びるように飲む人間は自制心のない阿呆だとすら思う時もある。しかし何故かあの時は酒を欲した。(当然のように一口飲んで全て捨てる羽目になったのは言うまでもない)

 

今、俺は紛れもなく据(しがらみ)の中にいる。就職、学歴、卒論、人間関係、、、

そういう意味では、当時の俺と本質は何も変わっていないのかも知れない。ただ、一つ言えるのは、俺はもう二度と夢をもってあの電子媒体の世界に入れないという事だろう。

いや、そもそも3500円(中古で購入)という当時の俺からしたらとてつもない大金を、なんの躊躇もなく払った時点で俺はあの頃には戻れなかったのかもしれない。

 

(完)

 

追記:先程うんこをしながら当時のカセットを理由もなく触ってたら、うんこの中にカセットを落とし、無事俺の”夢”とやらはうんこと共に果てました。一応腹を括り人生2度目の「うんこの中に手を突っ込む」という決死の特攻をした事で骸は拾ったのですが、この調子だと中のデータは吹っ飛んでそうです。うんこって今も昔も同じ形ですねヮラ。

獅子身中の虫

まず初めに、私は右翼ではない。愛国心の欠片もない。かといって、人種差別主義者でもない。以下の話は全て「紀行文」である。

 

2019年初春、私は色々あってアメリカって国に行ったんですね、アメリカ。友人はてっきり数日旅行にでも行くのかと思ってたのか、「何泊?」なんて聞いてくるものですから、「60泊61日のご予定でございます♡」って返したら何言ってんだコイツって顔されましたね、まぁそれはいい。

 

アメリカって本当にアタマのネジが飛んでるバカが本当に多いんですよね、スーパーに行っても釣りの計算まともに出来ない奴とか、掛け算の六の段すらマトモに言えない奴とか、挙句の果てに100ドル札に描いてある人すら知らないってレベルの人間すら散見されました、もうね、こんな国にご先祖さま負けたんかって一度は思いますよ、マクドナルドに行けばニッコニコした石塚英彦アメリカver.みたいなのが片手にコーラ(無論L)片手に理論値のハンバーガー(肉を最大まで増してその間にチーズを挟めるだけ挟んだ感じの奴)を食ってるんすわ、私はそれを見ながら1ドルで飲み放題の飲み物を飲んで何時間も粘ってるワケです。なるほど、俺は所詮イエローモンキーなんだなと、奴らから見たら乞食同然なんだろうなと、その時思わされるワケです。

 

また、何日も過ごしてると、たまーに差別って言うか、「これ完全に俺の事バカにしてるよな」って輩にも出くわすんですね、目を釣り上げてこっちに向かってくるガキとか、エスパニョール圏の奴らにチノ(中国野郎的な意味らしいが俺はてっきり某日常系アニメの白髪のガキを連想してしまった)って言われたり、バス停で俺一人待ってたら露骨にスルーされたりと、まぁ特に殴られたとか脅されたとかそういう経験は無いのですが、「あー、これが差別なのかー」程度のシロモノは体験させて頂きました、それもタダで(多分日本で体験しようとしたら結構な金かかると思う)。ぶっちゃけた話、陰湿な日本人の差別っつうか虐めっつうかそういう系の”かわいがり”の方がよっぽど糞of糞なんですが、私は残念ながらこういう事されたら何かしら一矢報いる人なので、何かやってやろうと、何かやってアメ公共に一泡吹かせてやろうと、そう心に誓うんですね、それが今回のお話

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「気づいたら、腹に違和感があったんです。」

 

帰国後私はあの時の事をこう回想する。

 

「友人を空港に送った後に、人間なら誰もが経験するであろう”絶望ーthe pain of despairー”が腹に来たんです。それもあの時は5段階中の4.5からのスタートでした。」

 

因みに、5段階とは私の中での便意の強さを示す。基本的に、4を超えたら頭の中の思考回路は「うんこ」一色に染まる。4.5を越えようものなら、知能指数が一気に跳ね上がる。本能とは人間の潜在能力を引き出すのだ。

 

「空港で見つけた便所に私は飛び込みました。一瞬が永遠に感じられました。鍵を閉める瞬間、上着を掛ける瞬間、ズボンを下ろす瞬間、ケツを下ろす瞬間。一つ一つが永遠に感じられました。」

 

「そこからは本能のまま。無我夢中に大腸の指示に従ってた迄です。」

 

そしてこの時、外に人間の気配を感じる。アメリカの個室は日本とは違って扉の下の部分が切り取られているため、外に人がいれば直ぐに分かる。ここで私は起死回生70年越しの”no more the Hiroshima”レベルのパルチザンを思いついてしまった。

 

「ブバババババババ、

 

 

ビーーーーー。」

 

容赦の無い放屁を放つ。その音ははまるで沖縄、サイパン、ガナルカナルでの機関銃のそれを連想させる。

 

「ブッ、ブブブブッ、ボボボボ。」

 

機関銃の音と共に繰り出されるのは、無慈悲の爆弾。嘗てインドシナ半島に落とした枯葉剤の如く、辺り一面を破壊する。

 

「ンンンンンァァァァァァアアアア。」

 

勝者故の咆哮をあげる。今から70余年前、彼らもまたこの声をあげたことだろう。

 

「フンンンンンンッッッッッッ!!!       ブッ。」

 

一瞬の静寂と共に再びの放屁が放たれる。日ノ本京王線新宿駅公衆便所で鍛えられたその音は彼らの心を挫くには十分であった。その表情はまるで鎌倉かどこかの阿吽像のそれに近い。丁度、クリントンの嫁が昔”ひめゆりの塔”を訪れた時の顔に近かった。

 

『ohhh my god』

 

聞くに耐えない重低音に、百戦錬磨の米兵も音を上げる。それもそのハズ。この「原子爆弾」は昨日食ったマクドナルドとケンタッキーフライドチキンで出来ている。お前のソウルフードで、お前は敗れるのだ。

 

「Sounds good?」

 

私も優しく声をかける。壁一枚隔たれた先からの声に彼らは何を感じただろう。届きそうで届かない、そんな絶妙な距離感を醸す扉は、全人類への何かのメッセージにさえ思えた。

 

『no(ノーーーー)』

 

遂に彼らは降伏した。モノづくり大国である我が国は、どうやら排泄物の”作り”も一流らしい。ブツを流すと、「詰まる未来が容易に想像できる音」が聞こえた。

 

扉を開けた。彼らと目が合う。その表情は微笑みに満ちていた。これもまた、世界平和を目指す人類への何かのメッセージなのかも知れない。

 

俺は今成田にいる。「故郷の土を踏む」とはよく言ったものだが、そんな大層な感じはしない。寧ろ、「これからクソジャップと関わらなきゃいけねぇのか(私は日本人の気質がどうも合わないのではないかとさえ思い始めていた)」と憂鬱にさえなった。Twitterには、この時期海外に行ったと思われる頭の悪そうなクソ共(あーいう人間はほぼほぼ100%大麻を吸った事を自慢してくる)が、海外を知った気になって「日本のここがダメ」とか何とか言っている。俺が嫌いな日本人ってのはああいう人間を指す。私が得た教訓を言おう、馬鹿な人間はどこに行っても相手にされない。アメリカだろうが、日本だろうが、地球の反対だろうが、馬鹿な人間と分かっただけで寄ってくるのは同じく「馬鹿」だけだ。何れにせよ、外国人はオープンだとか、外国人はコミュ力があるとか、日本人はダサいとか、そういう訳の分からない事よりも、私が得た教訓というのがマトモである事を願って止まない。

 

(完)

中二の頃拷問を受けていた話

幾分か昔の話なので記憶は定かではないし、更に言うとただでさえ脳みそが弱い私の言うことなので凡そ信憑性は保証出来たものでは無い。また1部脚色があったり、極論を言うと宇宙人によって記憶を改竄されている可能性すらありうる。予め断っておきたい。

 

知っている方は殆ど居ないと思うが、俺の通っていた某特別支援学校ことウンコブリブリ学園(俺の中ではこう読んでいる)は、まぁそれはそれは理不尽を極めたような学校で、敢えて今回触れるつもりはございませんが、色々な理不尽を経験したものでございます。もうホント、あそこで一通りの理不尽を経験したらこの先大抵の理不尽耐えれますわって感じの理不尽でありました、特に中学の頃が酷かったですね、多少の遅延は認めて貰えませんでしたから。

 

「電車の遅延ぐらいわかるだろ、

 

お前が悪い」

 

そう言って巨漢の小島先生は中一のガキを泣くまで殴っておりました。

 

この生活を一年続けたら、もうよく分かんないですけど人間として強いものが宿るんですね、中二になった頃には反抗期と重なってもれなくキモの据わったクソガキが爆誕する訳です。しかし教員もバカではありません。中二の夏休みに臨海学校という名のガチ拷問を行って更なる矯正を施さんとするのであります。これが今回のオハナシ。

 

戸田湾を隊列を組んで往復。ゴーグルは無し。

 

キチガイという他ない。なぜゴーグルをつけないのか疑問に感じる人もいるだろう。「顔を上げて泳ぐのでゴーグルは必要ない」というのがその答えだ。中々の理不尽ではなかろうか。1日目は炎天下の下、海パン一丁になって延々と軍隊みたいな練習を何度も何度もさせられる。4人1組になって、先頭の人間が「A級〇〇班!!!!四名異常なし!!!!」を声が枯れるまでやらせられる。どう考えてもブラック企業の朝礼を超えた理不尽だ。そういえば保護者会で、「日焼け止めを塗らないと火傷して水膨れができます」といっていたが日焼け止めを塗っても余裕で全身がもろ日焼けを超えて火傷した。太陽は理不尽だ。1日の締めに海水に入って少し泳がされたが海水が滲みてマジで死ぬかと思った。悪意さえ感じた。傍にいた筋骨隆々のボートに乗った野郎が列を乱すなと延々に怒鳴っていたのが印象的だった。

 

次の日、戸田は夜から翌朝にかけて豪雨が襲った。ホテルの地下は浸水し、練習は中止だろうと誰もが確信した。しかしその程度ではこの特別支援学校はへこたれない。なんと大雨洪水警報が出ている中、予行演習と言う名の特攻命令が下された。命をかける瞬間である。船に乗って対岸まで輸送される我々は最早「生きて帰る」事しか頭になく一部の人間を除いて皆顔が死んでいた。

 

ここで一つ君たちの疑問に答えよう。泳げない人間はどうするのか。簡単だ。泳げるようになればいいのだ。あらかじめ水泳の授業で泳力に応じてA、B、C、Dに分けられ、AとBだけが遠泳に参加できる仕組みだ。(因みに俺は以前にも当ブログで紹介した通り、水泳教室でオナニーに励んでいたのでAだった。)一見、カナズチにも配慮しているように思えるだろう。だがそれは本質ではない。直前の授業で、Cの人間は大体が謎の昇格を遂げる。一気に二段階昇進を遂げる者すらいた。何故か昇格の条件が緩くなり、240人中恐らく200人以上は特攻を命じられていただろう。因みに、一応任意参加と銘打ってあるのだが、参加表明しないと容赦なく深夜の個別訪問がある他、集団心理によって参加せざるを得なくする仕組みまで完備していた。完璧だ。要は、ガチな運動音痴を除いて、ほぼ全員殺す気なのである。

 

さて舞台は大雨が降る戸田湾である。もう全員が全員「生きて帰る」事だけを望んでいた。戦後65年の当時、果たして誰が“生還”だけを本気で願っただろうか。いつもの様に、大声で異常なしを叫ぶと、我々は特攻を命じられた。念のため、というか、マジで当たり前なのだが各班に傍2人、昨日の筋骨隆々の野郎が申し訳程度に配備されていた。

 

そこから先は本能のまま泳いだ。素晴らしいことに俺たちが泳いでる最中、雨足はあり得ないくらい酷くなった。前が見えない。当然、列が乱れる。しかし、昨日散々やれ列を乱すな列を乱すなと怒鳴っていた野郎はどうしているかと言うと、ボートにしがみつくのに必死になっていた。本来我々を助けるはずの人間が、自分の事に必死で我々に一切目をかける事なくボートにしがみついていた。あの光景は間違いなく後の我々の人格に影響を与えた瞬間といっても過言ではないと断言できる。兎に角、「まあそんなもんだよな」の一言であった。そこからは正直覚えていない。目を瞑って(しかしどこからか「前を見ろ」との怒号が聞こえていた事だけは覚えている」)”平泳ぎ的な何か“をし続けた。がむしゃらという言葉が最も適切だっただろう。不思議なもので、人間その域まで踏み込んでしまったら全てのことを難なく受け入れることができるようになる訳で、対岸までたどり着いた時に何故か隊列がUターンをし始めても何も感じなかった。地獄の復路の始まりだった。

 

復路の後半になると、雨足が収まって来て、さっきまで大人しかった野郎も安全なボートの上から怒鳴り始めた。もう誰も聞いていない。人間の本質を垣間見た。本能のまま俺らは泳いだ。

 

そして、俺らは帰還した。さて、上陸したらまずすることはなんだろうか。本来なら、隊列を組んであの「異常なし」を声高らかに叫ぶところだ。しかし、一部の正義感溢れるバカは雨に打たれ真夏に震えながら固まっていたが、殆どの者は帰りの船に飛び乗っていた。この時、これこそが世の中、これこそが人生哲学、これこそが縮図だと私は確信した。その道中、藤田という教師が、ビニールシートをかたずけろと怒鳴っていたが誰一人として戻ってくる者はいなかったのが物凄く滑稽だった。また一つ、俺らは強くなった。理不尽は理不尽で応えるという一つの解、術を覚えたのだ。

 

帰りの船で、ある友人がこう言っていた。「今すぐに帰れる代わりに怒られて済むなら、俺は悦んで怒られるわ」

その言葉が妙に印象的だった。

 

最終日、遠泳は中止となった。帰りのバスで、太鼓持ちが「どうせならやりたかったな〜」と教師に聞こえる声でボヤいていた。それも一つの”生きる道“だろう。寄らば大樹の陰、強い奴に取り入る事も大切なのは事実だ。だが俺はこいつとは絶対に仲良くなれないと確信した。

 

聞いた話によると、翌年から遠泳はなくなったらしい。保護者から強烈なバッシングにあったそうだ。当然の結果だろう。兎にも角にも、一つだけ言えるのは、あれ以降、何かに縋ったり、何かを信じるというのは俺から無くなったのは事実だ。やや格好をつけた書き方で非常に恐縮だが、今回はこれで終いとする。

 

そもそも、なんでこんな昔の話をしようと思ったのか、それは今年の夏に遡る。内定を貰った同期が、昔の話をツマミに思い出を話していた。或る者がこう言った「中一のオリエンテーション(次書くとしたらこれ)も、中二の遠泳も、中三のスキーも、楽しかったな」

 

あの時の拷問じみた整列も、本気で死を覚悟した予行演習も、”学生生活の1イベント“という括りに入ってしまえば、それは思い出として美化されてしまうのだ。所詮、「そんなもの」だ。

 

(完)

 

p.s この前例の特別支援学校に行ってきた。その際、高2〜3の担任と少し話ができた。俺は思い切って当時の話をしてみた。「俺も断行した時は背筋が凍ったよ、事故があったら確実に俺たちのクビは飛んでたね」

どうやら、一部の教員達もこの異常事態には気づいていたようだ。